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見えないものの話を聞いてきたはなし

ブログで生活費を稼ごうと始めたこのシリーズですが、ありがたいことにこのnoteのサポート機能で少しずつ収入につながっております。ありがたやーーーーーー。

このサポート機能ではサポートと一緒にメッセージも送れるのですが、そのメッセージで「サイパンの戦争の話と見えない話が好きなので待ってます!」というリクエストを頂いたので、さっそくインタビューに行ってきました!サイパン の戦争の話と見えない話ならあの人しかいない!

さっそく、アポを取って取材に向かいましたが、もちろん手ぶらで行くわけにはいかないので、バナナと牛乳。

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あ、これはサイパンが子供達に無料で配ってくれている朝ご飯とお昼ご飯セットから…。まさに、配給制度のお裾分け状態ですね…汗。貧乏インタビュアーですみません…涙。いつか出版が決まって印税生活ができるようになったらまた改めてお礼しよう…。

ワタシが白羽の矢を立てたのは、MダイブのTさん。見える方なんです。昔、そんな話を聞いたことがあったので今回ブログに書かせてください!とお願いしインタビューしました。

Tさんのコレクションの一部を見せていただきました。どう見ても普通は関係者しか持ってなさそうな貴重なものがたくさん。

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古本屋さんとオークションで集めたんですって!戦時中にアメリカ兵がサイパンから持ち帰ったと思われるものもアメリカのオークションから手に入れられてました!触ったら崩れそうな状態のものもたくさんあったので、汗だくのワタシは触れるのすら忍びなかった。

当時、日本統治下だったサイパン  からのお土産品として人気のあった絵葉書なんかもモノホンをお持ちでした。

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これはゆっくり見たい!けど、どうしても全身から吹き出す汗が貴重な資料に落ちそうで、見られない…。ということで、家で読んでも原型が崩れなそうな数冊を貸していただきました。

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この貴重な資料と現在のサイパンを比べたブログをTさんが書いてますので、興味のある方は是非ご覧ください。めちゃ面白いです。

このリンクを貼っちゃったら、もはやイニシャルでお呼びする意味がなくなるけど…。

そのTさんがまだサイパンに来て間もない頃住んでいたアパートでのお話。

Tさんは見える方と言っても、いつでも見られるタイプではないようで、場所によって周波数があって見えちゃうタイプらしい。子供の頃も見えてた家とそうでない家があったんですって。

今住んでいる場所ではある時までは見えたり感じたりっていうことはなかったらしいのですが(ある時ってのはまた別のお話で。本当はこのお話が書きたくてインタビューに行ったのです。あのカジノ建設にまつわるお話)、前にサイパンで住んでたアパートでは、夜部屋に入って来たそうです。

お父さんと子供。

その親子がTさんのお部屋に現れる時は必ず話し声から始まるそうで、複数人の話し声が聞こえて

あー来るなぁ…

って思ったら玄関から親子が入ってくるそうです。そして、寝ているベッドの横で立ち止まりTさんを見ている。お父さんと男の子。手を繋いでじっと見ている。

しばらくすると、入ってきた方向ではなくベランダの方から出ていくそうです。

最初の話し声は、いつもいろんな人の笑い声とからしいのですが、入ってくる親子はいつも同じ。

そして、そのあとの夢もいつも同じ。

左手には断崖絶壁…平地が広がる小道にはお地蔵様。奥には小高い山。

あまりにも毎日同じことが起こるので、知り合いに相談したら、盛り塩をしたらいいんじゃないか?ということで、盛り塩をし始めたらそういうことはなくなって行ったらしいです。

さらにそのアパートでは他の部屋でも入り口に盛り塩をしていた方もいたり、他の人も夜中に起きたら壁一面にお経が浮かび上がっていたことかがあったそうです。

そのアパートがきっと通り道なんでしょうか?

そのアパートの場所は、今のフィッシングベースからサイパン香取神社を結ぶ直線上にあります。

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今のフィッシングベースは昔の支庁桟橋。

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今のサイパン香取神社は昔の彩帆神社。

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第一次世界大戦中の1914年(大正3年)10月14日、大日本帝国海軍の戦艦「香取」は、当時ドイツ領であったサイパンを占領した。その際、ドイツ軍の望楼があった小山に小祠を建てて、軍艦香取内に祀られていた香取神宮の分霊(祭神 経津主神)を分祀して「香取神社」とし、その山を香取山と命名した。1916年(大正5年)、台風により小祠が破壊されたため、香取山中腹に社殿を造営し遷座した。Wikipedia彩帆香取神社より

日本統治下ではサイパンに何ヶ所か神社はあったのですが、ドイツ領から日本領になった時に戦艦から分祠されたこの香取神社はきっと当時のサイパンに住んでいた日本人の心の拠り所だったのかなぁと想像します。

だから、まだ親子で彩帆神社にお参りに行っている方がいて、たまたま通り道に住んでしまったTさんに周波数があってしまったというか。

そんなTさんも今の場所に引っ越してからはある時まで、こういうことは全く起きなかったそうです。

ある時とはあのカジノ建設が始まるまでは。


♢♢♢つづく♢♢♢


ここまで読んでいただきまして、誠にありがとうございます。このブログはコロナウィルス感染拡大防止策として入国制限を始めたサイパン島のダイビングインストラクターが収入ゼロ5ヵ月目になり、あまりにもしんどいのでブログで生活費を稼ぐために始めたシリーズです。どのように生活費が稼げるようになるのか乞うご期待!どうなっていくのでしょう?ワタシも知りません。



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