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霧のマンハッタン<福山桜子:なんということもない話>

今日は窓の外で、ごうごうと風が吹き、時たま強い雨がビシビシと叩きつけている。少し蒸し暑い。「そうか、もうすぐ梅雨というものがやってくるのか」。

私が長く住んでいたニューヨークのマンハッタンは、冬は長めで耳当てなしでは出歩けないほど寒くなり、春は短く梅雨はなく、蒸し暑い夏は急に終わって秋がやってきたりするけれど、基本的に東京の気候とそこまでは大きく変わらない。

ただ、たまに懐かしく思い出すのが霧。
あの霧の感じは東京では見ることが出来ない。

見上げると縦に長く伸びるマンハッタンの高層ビル群が霧の中に消えていっている。そういうことは珍しくはなかった。ある時、一緒に歩いていた友人に「あの空の感じ、とてもNYだなぁ、と思わない?」というようなことを言うと、その友人は「私の部屋からは真っ白で何も見えなくて面白くもなんともないわ」と、つまらなそうに言う。そういえば、彼女はセントラルパークを見下ろす70階の部屋に住んでいたんだった。

ニューヨークでドキュメンタリーの仕事をしていた頃、長くドキュメンタリーを撮っているカメラマンが言っていたことを思い出す。「ドキュメンタリーなんて、カメラを置いた時点でフィクションになる。雪の結晶をアップで撮るのか、エンパイアステイトの上から街を白く塗り替えていく雪を撮るのか、ホームレスの横で空を見上げて無情に降り注ぐグレーのゴミみたいな雪を撮るのか。本当の意味でノンフィクションなんて撮れないんだよね」。

雨に閉ざされた部屋で、霧のマンハッタンを想う。
どうでもいい話。


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