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元「ゆる」ヤングケアラーへおすすめする生き方

私は最近、自分についてある大発見をした。それは、自分が元ヤングケアラーだった、ということだ。

よく、明らかに虐待でかわいそうな境遇だった子供が後のインタビューで「その時はそれが普通だと思っていた」と言っていたりして、「なんで気づかないの!大変だったね・・・」と思うことはあったが、まさか自分も同じような状態になるなんて思ってもみなかった。

多分、正確に言うと気づいていないというよりは、「なんとなくみんなと違うことは分かっているし辛いし、周りには相談できなかったりはするんだけど、そんなもんだろうだと思っている」または「うちはそう言う家庭で、変えようがない」と思い、知らないうちに、という言葉が正しいか分からないが、「普通」と受け入れていた、という方が正しいかもしれない。少なくとも私はそのように思う。

自分がヤングケアラーだったと気づいてから色々とネットで調べてみたが、「ヤングケアラーとは」という説明だったり、元ヤングケアラーだったことが影響して自身も精神疾患を抱えている人がいる→行政などでケアしていくことが必要です、という結論の話しか見つからず、「じゃあ元ヤングケアラーの私たちはどうやって生きていけばいいの?」という疑問への答えが見つからなかった。

だが、今回姉に相談して自分なりに答えに辿り着くことができた。先に結論からお伝えすると、元ヤングケアラーにおすすめする生き方は「親や過去は変えられないから、親とは適度な距離を保ち、過去のことはあまり引きずらずに前向きに生きること」である。

ちなみに私はタイトルには元「ゆる」ヤングケアラーと書いた。というのも、他の方の経験を読ませていただくと、親と縁を切らないとまずいようなケースもあるためだ。むしろ、記事でクローズアップされるような方々は、私よりもさらに深刻な状況であることが多い。

だから、今回は取材を受けて記事になるまでもないぐらいだが、それなりに辛い思いをしてきた元「ゆる」ヤングケアラーの立場として、同じような立場の人に向けて私の経験や、思うところをシェアしたいと思う。

元ヤングケアラーと気づいたきっかけ

なぜ齢33にして自分がヤングケアラーに気づいたかだが、ことの発端は昨年末に遡る。といっても数ヶ月前なのだが。

私の母はパニック障害持ちで、軽い?鬱状態でもあり、30初めぐらいからもう数十年ずっと薬を飲んでいてる。詳細は覚えていないが、小学生ぐらいの時にパニック障害のことを打ち明けられた。

母は少し天然で明るくておもしろく、そして賢い。生きる上で大事な考え方や哲学は母から学んだ。大好きな母である。

ただ、いわゆる「繊細さん」でもろく傷つきやすい。そしてさーやさんが広めた「ヒス構文お母さん」の特徴もあり、大量の地雷を仕掛けていて、その地雷を我々が踏んでしまい怒り出すと手が付けられない。今回は長くなりすぎるので割愛するが、私も姉も数々の理不尽な言動や行動に悩まされてきた。

ただ、今はもう姉も私も結婚し同居はしておらず、私は地元へは飛行機の距離に住んでいる。なので、体調が常に悪い母を気遣ったり、ありがとうや好きが言えるような良い距離感を保っていた。

ところが去年末に事件は起きた。

初めて私の夫をうちの実家に泊めることになったのだが、それが揉めに揉めた。数ヶ月前から母から度々連絡が来て、これを買った方がいいかあれを買った方がいいかなどと聞かれ、仕事中で返信が遅いと怒られる。

「そんなに気を遣わなくていいよ」と何度も言うが、彼女には聞こえない。完璧におもてなししないと恥ずかしいと思い込んでいるので、もう止められない。

次第になんで私たち夫婦が実家に泊まる話になったのか忘れてしまい、辞退したい気持ちになったが数万円するであろうベッドフレームまで新しく買っているのだからこれで「やっぱりホテルに」なんて言えない。

そんなこんなで母はかなり気が張っていて、さらに我々が実家に帰る直前に祖母が亡くなってしまい、精神的に不安定だった最中に事件は突然起きた。

夕方ごろ、実家で私の両親と夫と私でテレビを見ていた時だった。夫は営業マンなので割と話せるタイプのはずだが口数が少なかったので、「今日は静かだね」といじったところ、母がキレ出した。完全なる不意打ちだった。

まずは、ちゃんと夫が話やすいように会話を回さない私が悪いと言われ、最終的にはあんたは昔から悪魔のような人間だった、というところまで発展した。

昔からあんたは悪魔だ、とは言われてはいたが、流石に夫の前で言われるとかなりこたえた。これを書きながら涙が出てくるものの、状況が地獄すぎて、やばすぎて笑える自分も同時にいる。

ちなみにこれはただの被害妄想かもしれないが、母の言動は夫を擁護するような内容だったため母の味方についたように見えた。実際にどう思ったかなんて怖くて聞けないから分からないのだけれど。

それから関東に帰ってきて数日は夫に隠れ泣いた。

帰ってきて翌日の元旦には夫の実家にご挨拶に行ったが、その時義両親がちょっと豪華な食事を用意してくれた。うちみたいに家のインテリアも食事も豪華ではないけど、気負わず自然体。

うちだと、恐らく食事だけだとしても数ヶ月前からの準備から始まり、当日は「緊張して気分悪くなってきた、やっぱりキャンセルにしたい」という連絡が来る可能性もあり、ハラハラする。そしてちゃんと開催できたとしても、いつ地雷が爆発し地獄絵図になるか分からない。

一方夫の実家では、(失礼ながらも)飾り気はないけど、みんなで会話したりテレビを見ながら平和に食事が終わったのだ。

この「普通」がとても羨ましい!!!

心底そう思った。

なんで普通のことができないんだろう?ただただ家族団らん、という時間を過ごしたいだけなのに。ふとネットで「母親 精神疾患」だったか、そのようなワードを検索した時に、ヤングケアラーの記事が目に止まった。そこには、「親の介護で学業に支障をきたす」というような私に当てはまらない内容も多かったが、「親がうつ病で愚痴を聞かされる」などというような、親が精神疾患がありそれにより精神的苦痛を強いられる子供のことも書いてあった。

私は、ヤングケアラーだったんだ。

元ヤングケアラーの生き方

少し回復してきた頃に、以前記事にも書いた「宇宙兄弟ナンバーゼロ」を観た。その中で、ヒビトが子供の時に飼っていたハムスターが亡くなるシーンがある。そこで、両親が慰めてくれるのだが、一方で私は自分の小学生の時を思い出した。

小学校3年生ぐらいの頃、面倒をちゃんと見るから買ってとせがんで私もハムスターを飼ってもらった。ただ、ハムスターのケージはすぐに糞だらけ、ひまわりの種の殻だらけになるので、あまり覚えていないが私は次第に世話をしなくなったようだ。代わりに母がケージの掃除をした。

ところがある日、そのハムスターが動かなくなっていた。死んでしまっていたのだ。とても悲しくて母に報告したが、ハムスターの一般的な寿命よりも短かったこともあり、母からは「あんたがちゃんと世話しなかったから、あんたが殺した」と言われた。

泣きながら当時持っていた便箋に「殺してない」という5文字を何度も何度も書き、びっしり埋め尽くして母に渡した記憶がある。それからはあまり覚えていないが、とにかく近くの土手に、死んでしまったハムスターを埋めに一緒に行ってくれた。

ちなみに翌日学校へ行き、点呼の際に皆んなの前でクラスの男子から目がおかしいことを指摘されて、飼っていたハムスターが死んでしまって泣いて目が腫れてしまったと伝え、私の目がおかしい理由にみんな納得した。でも、母に「あんたが殺した」と言われて悲しかったということは誰にも言えなかった。このように周りに言えなかったつらいことは数え切れないほどある。

この出来事を思い出した数日間や、ふと思い出した瞬間に泣くことがあった。でも、自分では、私が間違っていたのか、母がひどいのか自信が持てなかった。

そこでふと昨日、夫に、「もし子供がハムスター飼いたいって言ったのに世話をせず、それでハムスターが死んじゃったらなんて声をかける?」と聞いた。

そしたら、「まあ、世話をしなかったかもしれないけど飼うことを許可したのは自分たち親だから・・・ちゃんとお別れした?って言うと思う」と言った後に、笑いながら、「でも、桜子ちゃんなら『ちゃんと世話しなかったから死んじゃったんだ』って言いそう」と言われた。

私は見た目も思考パターンも母に似ていて、ヒステリックになるところも似ているため、それを聞いてとても怖くなった。妊活しているけど、私なんかが子供を産むと子供は不幸になるかもしれない。

元ヤングケアラーやアダルトチルドレン、愛着障害などを専門とするカウンセラーや、精神科医はネットで調べたところ居そうだったが、母の状況を完全に理解している人はいない。色々考えて、姉に相談した。

まずはハムスターの件の話をした。実は姉もこの話を知らなかったようで、「ひどいねー。」と言ってくれた。だが、その上で、母は自制心が不足しているので、日頃の不満が積み重なると状況や言葉を選ばず爆発させてしまう傾向にある。だから、その時も、私が世話をせず、母がやる羽目になったことをハムスターの死を悲しんでいる娘の気持ちを考えずに爆発させてしまったのでは?と。

確かにそれは一理ある。どんな状況でも、「それは言っちゃダメだよね」という境界線があると思うが、母はそれを超えていくし、実は私にもそのケがある。

そして、姉は、その上で、もう色々と諦めていると語った。

確かに正しい。だって、悲しいけどどう頑張っても母を「普通」にはできないのだから。

また、私の「こんな私が子供を産んでいいのか?」に対しては、「大丈夫。子供を持つと不思議と正しい方に行こうとするから。産んだらわかるよ。」と言ってくれた。確かに姉は高校生の時はだいぶ常識・倫理的にアウトなこともしていたが今ではとても落ち着いた愛情深い母親になっている。

母に対して恨みつらみを言うこともできるけど、それでは私たちは前に進めない。それはそれ。いつまで経っても母への不満や過去に囚われていてはいけない。

もちろん、今回のように過去を思い出して泣いたり、現在も変わらぬ状況の母とぶつかったり傷つくこともあるし、もし母が健康であったら、自分はもっとすごい人間になれていたのかもしれないと思うこともある。でも、残念ながらどうあがいてもこれらの過去は自分の人生の一部だし、変えることはできない。変えられるのは未来だけだ。過去とは適度な距離を置きつつ、自分が幸せになれるように生きていけばいい。また、もし子供ができたら、同じような思いをさせないようのしてあげればいい。

終わりに

これもとても個人的な意見なので、「そういう意見もあるんだ」程度に聞いて欲しいが、私たちのように繊細な人は、逆に鈍感な人と結婚した方がいいような気もしている。

私の夫は先述の通り平和な家庭で育った。「ヒス構文」に関するネタ動画を見せても共感しないぐらいだ。(ちなみに世の中のお母さんはみんなヒス構文的性格だと思っていたから驚いた。)

だから、夫には私のような人間の気持ちは分からないし、細やかな気遣いもない。そして全体的に私は細かく口うるさいが、夫はおおらかである。

夫に共感してもらえない、分かってもらえないことに孤独を感じることもあるが、逆に仮に妊活が実り子供ができたら私と同じ思いはして欲しくないから、そのような世界があることを知らない夫に育ててもらう方が子供にとってプラスに働くような気もしている。

母に教えてもらったことの一つに、一人の人に全てを求めるのはだめ、というものがある。Aちゃんは映画の話で盛り上げれて、Bちゃんは洋服の話で盛り上がれて、Cちゃんは恋愛の話で盛り上がれるが、映画、洋服、恋愛、全ての話で盛り上がれることを一人の友達に求めるのは無理だよ、というものだ。

辛くなったら、姉に話せばいい。だから、夫は逆に私と正反対のちょっと鈍感な人の方が夫婦としてうまくいくような気がするのである。

素敵な夫と結婚できたことに感謝しながら前に進みたい。

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