【後編】「性自認は男性」と「子どもがほしい」ーー“私”が抱えてきた性別違和(2022年wezzy掲載)
今回の記事は、2024年4月でサービス終了した株式会社サイゾーが運営するWEBマガジン「Wezzy」にて、2022年に掲載していたものです。
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自分が我慢すれば丸く収まる?
その声色には「男になりたいのに不妊治療するって、この人、ホントに大丈夫?」といった露骨な警戒があった。受診する前から漠然とあった不安が、はっきりと確信に変わった。
(治療対象として問題がない、そう思ってもらわなくてはならないーー)
私は慎重に言葉を選んだ。
「自分を女性だとは思いませんが……夫とのあいだに子どもを授かるには、私が妊娠するしかありません。なので、不妊治療も前向きに受けたいと思っています」
なるほど、と看護師は口では言ってくれた。しかしやはり納得できないらしく、子どもが生まれてから育てられるか、ご主人は大丈夫かなど、何度も「母親になる覚悟」を問うてきた。男だと自認することと、人の親になることとは、決して相容れないと言いたげだった。
「性同一性障害のことは、いったん置いて」
「忘れてください」
「大丈夫ですから……!」
揉めごとなんて起こしません、病院に迷惑はかけないので、どうかもう許してください!忘れてください!! そんな思いで必死に言葉を並べた。だが、一度植え付けてしまった「自分を男だと思ってる困った患者」という印象は消える気配がなかった。
あまりの理解のなさに、私は現実逃避しはじめた。
(あー、これがぺこぱのネタならなぁ)
頭のなかで松蔭寺さんが何度も「時を戻そう!」とポーズを取ったが、残念ながら現実はコントのようにはいかない。当たり前だけど。
そろそろ医師にバトンタッチする頃合いだったのだろう。看護師は腑に落ちない表情をしながらも話を切り上げ、私はようやく開放された。その後、医師との問診はつつがなく終わり、
無事、不妊治療初日は終了した。帰り道はぐったり放心状態に。ぼんやりとある思いが浮かび上がった。
(男だと思う気持ちなんて、やっぱり我慢すべきじゃないか? そうすれば全部丸く収まる)
不妊クリニックとジェンダークリニック、両方に通院しようと決めるに至るまでさんざん繰り返した自問自答を思い返した。けど、無理にそれを振り払った。それで立ち行かなくなったから、ジェンダークリニックに通い出したんじゃん、と。
きっかけは、「子どもがほしい」「女親になりたくない」という逡巡だった。
20代からずっと、子どもを持つことを望んでいた。30歳で結婚。以来、妊活も不妊治療もたびたび挑戦してきた。だが、いざ妊娠の可能性が高まると「母になんて、なりたくない」「私は女じゃない」という思いがムクムクと湧き上がった。結局いつも、女性じゃないという気持ちが大きくなって、「とりあえず、いま子どもはいいや」と問題を先送りにしてきていたのだ。
当事者たちを訪ね歩く旅へ
もう一度言おう、私は自分を女性と思うことができない。
思いかえせば人生をとおして、自分は男性だという認識があった。だが、私は自分をマイノリティであると、長いあいだ受け入れられずにいた。
「一時的な気の迷い」
「思春期が長引いている」
「社会の男女不平等のせい」
……と、何かと理由をつけては、自分を“普通の人”だと言い聞かせてきた。私は「そっち」側ではない。メディアを通して「LGBT」という語を見聞きはしていた。でもその語で示されるのが、どういう人たちなのかはよくわかっていなかった。そう呼ばれるのは、特別にしんどい思いをしている「可哀想な人たち」だけだと決めてかかっていた。
それどころか、すべての女性が同じ悩みを大なり小なり抱えているとすら思っていた。女性はみんな女性であることに耐えている、我慢している。私もこの社会で生きていくためには、我慢して生きていかなくてはいけない、それができないのは私に堪え性がないだけだと。
まるで、アルコール依存症の人が「まだ大丈夫」「依存症と言うほど深刻じゃない」と飲酒をやめないように、私は性別違和があると気づきながらも、否定しつづけていた。それは、「否認」と呼ばれるものだ。深刻な状態から自分を守るための、一種の心理的防衛機構と考えられている。依存症の場合、その否認を克服することが回復のプロセスになるのだそうだ。
私自身、自分で思っている以上に、限界だったのだろう。無自覚ながら、現状を打破する方法を求めていたのだと思う。
「視野を広げるため」
「最近話題だから知っておかないと」
そんな言い訳をしながら、当事者が集まる場を探し、私は当事者たちを訪ね歩いていった。
否認を克服することが回復のプロセスーー。言葉にすれば簡単だが、ジェンダーと向き合うことは、想像以上の苦行だった。それは、私の人生をすべてひっくり返して整理し直すに等しかったからだ。
ジェンダーは幼少期から少しずつ獲得していく価値観だ。「女の子にはやさしくしよう」とか「男の子は泣いちゃダメ」など、モラルや倫理観とも密接に関わる。そんな社会通念は、私の中にもしっかりと根付いている。自分が信じてきたように自認も女性だったら、どんなに楽だったろう。あるいは自認のとおり男性の体で生まれていたら、矛盾に苦しむこともなかっただろう。
だが、そんな終わりが見えない長い旅に出発していたことに、そのときの私は、まったく気づいていないのだった。
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