日記2・声をあげていいのは「間違えのない人」だけではない
最近、精神的な不調を感じています。きっかけは、1週間ほど前の取引先との条件交渉の決裂で、大したことではありません。
しかし、交渉決裂で、一つ後悔して仕方がないことがあります。それは、性的マイノリティ性を交渉の材料に出してしまったことです。
配慮が足りないと言ったことを伝えてしまったのです。何もそのクライアントは、性的マイノリティ性にだけ無神経だったわけではありません。
あらゆる段取りや対応に納得いかなかったわけですが、配慮が足りないのは、わかりやすいかなと思い、特に深く考えず、交渉材料にしたのです。
「性的マイノリティはめんどくさい」
「今後は取り扱わないようにしよう」
「メンタル病んでるやつはこれだから」
と思われていないか……。
前からSOGIハラは受けてはいたが…
決裂したクライアントは、過去私がメンタル的不調で失職した際、相談にのってもらった恩のある会社でした。また、ホルモン治療前に出会ったこともあり、性自認もオープンにしていました。とはいえ、性的マイノリティ性に知識はなく、典型的なSOGIハラも受けつつも、私は一定の信頼をしていました。
※SOGIハラ…SOGI=セクシュアルオリエンテーション(性的指向)ジェンダーアイデンティティ(性自認)に関するハラスメント。セクシュアルハラスメントの中でも、性的マイノリティが受けやすいセクハラを指す言葉です。
こうやって文字にして見ると、決裂する条件は揃っていたんだなと気付かされますが、だからこそ、ジェンダーに興味も理解もない人たちに情報を届けられると私は気負っていたわけです。
無関心な人に届けたい
それだけに、私の些細な条件交渉に何気なく性的マイノリティ性を出してしまった私自身の気の緩みに本当に凹みます。
私は情報発信をするからには、理解してくれる人だけに届けたいわけではありません。理解できる情報がないからこそ、LGBTの権利向上を不可解に思う人も少なくないと考えています。そう言った生活の中でジェンダーの不均等による不利益を自覚せずにいられる人に伝えていきたいと思っています。
間違えてもいい
だからこそ、ずっとモヤモヤしていたわけですが…テキストにして、客観視することで、そこまで気を病むことでもないかなと言う気になってきました。
マイノリティを理解してもらうために私が我慢をし、相手の癇に障らないようお膳立てをして…というのは、差別の証左そのものとも言えそうです。
日記としてこのことを書こうと思ったのは、この記事を読んだから。
私はどこか、間違ってはいけないと自分に課しているところがあります。条件交渉もわがままだと思われてはいけない、面倒だと思われてはいけないと。
尊厳というプライドを
面倒を起こしてしまった自分が許せないけど、「泣き寝入りはごめんだ」という情報発信者としての矜持や意地の板挟みでメンタル的不調を抱えていたのだと思います。
言ってしまえば、性的マイノリティとしての自分にプライドを持てていないんでしょうね。プライドを持てるよう、自分を軽んじてしまうことに自覚的でありたいモノです。
(ここでいうプライドとは、誇りや尊厳です。上記で「情報発信者としての矜持」と書きましたが、性的マイノリティ性を持って生まれたものの矜持と言ってもいいかもしれません)
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