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親孝行は遅れがち〈エッセイ〉

久しぶりに、大学生の長女、高校生の次女が夕飯の席に揃う。
同じ料理をするでも、姉妹セットだと、調子が上がる。
「ワインでも飲む?」と、成人した長女を誘ったりとご機嫌だ。
あったかいものを食べたいというリクエストで、この日は鍋。
アゴだしベースの塩スープに、豚のしゃぶしゃぶ肉、
ニラ、白菜、お豆腐、娘たち必須のマロニーを入れて。
あとは冷やしトマトと、おつまみのチーズ。
「いただきます」の掛け声は成長とともにマイペースになり、3人のいただきますがやまびこのようにズレて重なる。

学校の友達の話、長女のバイトの話、彼氏の話、
旅行に行きたいという話、私の仕事の話……。
お酒も入って、なんて楽しい夜。
ここ数ヶ月は忙しく、気忙しく、
友だちとご飯の約束をするのが億劫になっていた。
「友だちいなくなっても、君らがいたら十分かもな」と、私。
「それは荷が重い(笑)」と、娘たち。
長年のトリオゆえ、抜群の返し。
鼻歌まじりに食洗機に洗い物を放り込む、良い夜となった。

私は、娘たちと同じ年頃に
母と今宵のような時間を過ごしただろうか。
仲のいい家族だったとは思うけれど
母には結構、悪い口を利いた覚えがある。
真冬でも家中の窓を全開にして掃除するのが嫌だったし、
ブランドとかにまったく興味がなかったから
高校時代にバイト代で買ったお気に入りの服を
雑に扱うことにも腹を立てていた。
椅子にかけていたラルフのニットを勝手に針金ハンガーにかけ
首と肩をつなぐラインに心電図みたいな山ができたときは
ムカつきすぎて泣いた。
聞こえるように「ババア」と言ったかもしれない。

その経験は、私の子育てに生かされ
真冬は娘たちがお家にいるなら窓を開けて掃除したりはしないし
まだ彼女らはそんなに高価なブランドものは持っていないけれど
ファッションへの理解は、まあまあある方だと思うので
うっかりミスは別として、
基本お気に入りの服たちを雑に扱うこともしない。

そうなのだ。
子育ては、自分がしてほしかったこと、
できなかったこと、
しておけば良かったことが生かされる。

将来の可能性を広げてあげたい。
自分よりもちょっとでもいい人生を送って欲しい。

私が10年ぶりに仕事復帰をするとき、
協力を得ることになりそうな両親に相談をした。
父は孫たちが心配らしく表情を曇らせたが
母は「協力するから、後悔のないようにやりなさい」と言った。
別日に改めて「やってみたら?」と背中を押され
「子育て以外に自分の仕事があった方がいい。
その方が後々きっと楽しいし、寂しくない」と。

私へのアドバイスは、母の経験。
自分よりも楽しい人生を、というエール。

長女が昨年、突然「モンゴルへ行く」と言い出し
その際に私は「危なくないのか、参加するツアーは安全なのか」と
大いに、しつこく心配した。しかしながら彼女の意思は固く、
十分にリサーチし、安全性も学び、
尊敬できる人が主宰するツアーだからと説明してくれているとき
私には見えた気がした。長女の頭の上に浮かぶ
「ママは何も知らないくせに」という文字が。

ラルフを知らなかった母、ラルフを買った私。
モンゴルに無知な私、モンゴルを学び、実際に行くことで知識と経験を深めた娘。

成長の喜びに紛れる、わずかな物寂しさ。
今になって、ラルフのニット1枚で
やはり聞こえるようにババアと言ったであろう自分を恥じる。

父はアクション映画、母は韓国ドラマが好き。
私は実家のテレビを買い替え、Wi-Fiを繋ぎ、
ネットフリックスとアマゾンプライムに加入した。
近所に言いふらすほどに喜んでくれた様子で
母とはおすすめの韓国ドラマの情報を交換したりしている。

どうか、娘たちにババアと言われる日が来ませんように。









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