めざせ、みんなの居場所がある社会!
4年前に訴えた政策を振り返って
2019年4月の区議選では、1年前に起きた子どもの虐待死を取り上げ、これから設置する世田谷区立の児童相談所のあり方について訴えました。東京都の児童相談所では、職員一人あたり100件以上の案件を抱え、丁寧にケースにあたることが出来ない状態でした。また、児童相談所の支援を受けていたケースであっても自治体間の移動によって、つながりが途切れ、深刻な事態に陥ることが頻発していました。
子どもの尊厳と命をいかに守るのか、このことが大きな課題であり、区が独自に児童相談所を持つことの責任の重さと緊張感を私自身も強く感じていました。
世田谷区議会に戻ってから、児童相談所の設置に関しては、職員の人材確保と育成とともに、一人が抱えるケースの上限を設けることを求め、現在では多くても40件程度におさまっています。しかし、設置してようやく4年目を迎えた児童相談所では、職員のスキルの向上は大きな課題だと感じています。時折持ち込まれる児童相談所の相談は、職員のスキル不足によるものを痛感することもあり、そこが肝ではないか、と感じるからです。
さらにただ単に子どもの命を守る、ということだけではなく、子どもを育てている保護者が子どもの尊厳や命を奪う当事者にならないようにいかに支援を届けるのか、といった保護者支援の視点を持つことも大切です。
声なき声をいかにしてつかむのか
私が長年求めてきた取り組みのひとつに、「ヤングケアラーの実態調査」があります。最近、家族の介護や家事全般など家族のケアなどを担っている子どもが「ヤングケアラー」といわれ存在がやっと認知されるようになってきました。世田谷区に実態を調査して支援の必要性を認識するように求めてから約10年経ちました。
2014年に一度ケアマネージャーへのアンケート調査を行いましたが、それ以降は、ケアマネ研修で触れることとヤングケアラーをテーマとした講演会を行うことくらいしか取り組まれていませんでした。
一方で、全国的な動きではヤングケアラーの実態について自治体ごと実態調査を行う動きが広がり、国も含めてきめ細やかな調査が行われるようになりました。これまでも粘り強く質問にも取り上げ、調査を求めてきましたが、なかなか世田谷区は実施しようとはしませんでした。当初ヤングケアラーを取り上げた所管が高齢福祉部だったこともあり、子どもを対象とした調査をするには所管を超えた横のつながりが必要でした。このお見合い状態になっていた所管同士をつなげることから始め、時間がかかりましたが、区がやっと重い腰を上げ昨年、実態調査を実施しました。その結果、中学生の7.7%がヤングケアラーであることがわかり、「ヤンケアラーであることを知られたくない」「ヤングケアラーであることを知られて可哀想な子どもだと思われたくない」と感じていること、「相談してもどうにもならない」と諦めている子どもの姿が浮き彫りになっています。
子どもの力ではどうにもならないことが子どもの肩にかかり、放置されているのです。2023年度、区はヤングケアラー支援を強化していきますが、ヤングケアラーの問題は家庭の問題ではなく社会の問題であることを啓発することに重点が置かれています。相談窓口の設置と支援体制の構築を求めてきたいと思っています。
インクルーシブ社会をめざす
障害があるかないかによって分けることなくともに学びともに育つことを保障したいと、インクルーシブ教育の実現に向けて提案をしてきました。これは、日本全体に広がる「分離教育」が当たり前、という教育観を変えるくらいの大きな取り組みであることを自覚しながらの、提案です。昨年9月に国連障害者権利委員会は、日本政府に対して「分離教育ではなく、インクルーシブ教育を実現するためのプラン」を示すことを求める勧告を出しました。ジュネーブで行われていた日本政府との建設的対話を生中継で傍聴しましたが、日本政府の回答は虚しく聞こえました。なぜ日本政府は人々を分離することを差別ととらえず、分離することを良いことのようにとらえているのか。なかなか育たない人権意識の根本的な問題を見る思いです。
この4年間で世田谷区の教育政策にインクルーシブ教育の視点を少しずつ入れ込んできました。教育総合センターはインクルーシブ教育の拠点となり、2023年度にはインクルーシブ教育のガイドラインづくりが取り組まれることになっています。どうにか変化をもたらせないか?と「インクルーシブ教育連続学習会」を2020年10月から主催し、地域の方々だけではなく区の職員が参加するように誘い、話をしてきました。共通認識を深めることによって、政策実現に近づいていくこと、これが私の政策実現のひとつの方法です。その中でできてきたのが、上記2つの政策であり、「障害理解の促進と地域共生社会の実現をめざす条例」であると考えています。
この4年間は様々な政策の仕込みの4年間でもありました。次の4年間はさらに政策を推進し「インクルーシブ社会の実現」をする4年間をめざします。