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葬送のフリーレン10話/復讐とお花畑
葬送のフリーレン10話視聴。感じたことをメモしておく。ネタバレあり。
●フランメの悲壮感
フリーレンの師匠であるフランメは魔力制御で魔族を欺く。彼女は魔法を大好きなのだが、復讐のために「魔法を愚弄するような卑怯者」の戦法を選択する。彼女は大好きな魔法を「復讐の道具」にしている。そのことをどう思っているか、彼女の感情は掴めない。だが「悲壮な決意」があることを伺わせる。彼女は「きれいな花畑を出す魔法」が一番好きな人なのだ。
●欺くという行為
魔族もフランメも「相手を欺く」という点では同じだ。しかし、魔族が人間を欺くのは、単なる彼らの習性によるものであるのに対して、フランメのそれは「悲壮な決意」の上に成り立っている。フリーレンに「そんな卑怯者は我々二人だけでよい」とまで言っている彼女は、決意のために大好きなものを犠牲にしている。魔族とフランメの間には、そんな「決意の差」がある。
●復讐とお花畑
お花畑と言う言葉がある。平和ボケを揶揄して「お前の頭はお花畑だ」という形で使われる。戦後平和を享受してきた日本人は「お花畑」だと言われている。そしていま、世界では大きな戦争が始まっている。復讐が蔓延しだしている世界の中で、お花畑の日本人がやるべきことは何だろう。フランメを見ていて、そんなことを考えた。「復讐の悲壮感」と「お花畑を出す魔法への愛」を抱えたフランメの2面性はどう統合されているのか、それとも統合できず葛藤が渦巻いているのか。そしてその2面性をちゃんと引き継いだフリーレンは、どう感じているのか。私たちの今につながる「復讐とお花畑」の2面性について興味が惹かれるお話でした。