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負けヒロインが多すぎる!9話/「強がり」が心を打つ理由。

『負けヒロインが多すぎる!』9話視聴。月之木と玉木に「自分は大丈夫だ」と伝えたい。その思いから小鞠は無理をする。その心理は、八奈見にも焼塩にも通じるもの。負けヒロインたちは強がるのだ。そしてその強がる姿というのはエモい。なぜエモく感じるのか、思ったことを書いておく。

#ネタバレあり

小鞠はコミュニケーションが苦手で、知らない人とうまく話をすることができない。それでも月之木と玉木の期待に応えたい。次期部長としてツワブキ祭の展示を成功さたい。そう思って頑張る。学校で居場所を作ってくれた月之木と玉木に感謝していて、自分を心配している二人を安心させたい。自分は大丈夫だと伝えたい。そういう思いがベースにある。
そして小鞠はさらに引け目がある。小鞠が玉木に告白したことで3人の関係が変わり、月之木と玉木は「小鞠に手を差し伸べること」が難しくなった。そうなったのは小鞠の責任だ。でも月之木と玉木は、きっと引け目を感じている。小鞠はそれを知っている。あの二人はきっと苦しんでいる。その呪いを解くことが出来るのは自分だけ。それを分かっている。

小鞠にはいろんなものがちゃんと見えている。自分のことを客観視することも出来ている。でも、ツワブキ祭のことで無理をしすぎて倒れてしまう。小鞠は自分を過信したのだろうか。いや、きっとちがう。小鞠は、私ならもっとできるはずと思っていたのではない。自分には能力が足りないことを誰より小鞠が知っていた。でも「強がった」のだ。そしてそれは「違う自分に出会いたい」という祈りなのだろう。そのとき、結果は重要じゃない。どれほど真剣に祈ったのか。それだけが重要なのだ。

でもそれで倒れたら、余計心配させてしまうではないか。祈りじゃなくて、もっと賢い選択肢を選ぶべき。打算好きな私たちはそう思う。冷静な思考はそう考える。でもそれは現実的じゃない。なぜか。安心させるために小鞠が打算的になると、月之木と玉木は安心しないのだ。二人には「二人を安心させたい小鞠の気持ち」が透けて見える。そのとききっと二人は、それに答えるように、「安心した様子」を小鞠に見せようと頑張るだろう。そしてそれもまた、小鞠にはわかってしまう。気遣い地獄。やさしさ地獄。そういうことがどうしても起こるのだ。祈りはその地獄を突き破る力がある。

実際、小鞠は倒れ、温水たちが小鞠を助ける。小鞠の祈りは打算じゃない。それは人の心を打つ。そして人は動かされる。その結果、小鞠には「頼る場所」が出来る。そして月之木と玉木には「本当の安心感」がやってくる。小鞠はもう大丈夫だと、心から思うことが出来る。
現実には、そんなにうまくいかないだろう。無茶をして何一つ良いことがなかった、ということだってある。それでも「違う自分に出会いたい」と本気で祈るとき、その姿はひとの心を強く打つ。それは間違いない。そして人の心を強く打つことでしか打開できないことがある。

八奈見も焼塩も、フラれた相手に強がって見せた。八奈見は草介に「私はそのうち勝手に他の人を好きになるから、勝手に花蓮と幸せになれ」と叫んだ。焼塩は光希に「好きだって思われていただけで充分幸せだ」と伝えた。それは強がりだ。同時にそれは「違う自分に出会いたい」という祈りでもある。今の自分は、とてもそんな風には思えない。でも「そういう自分であれ」と祈る。それは私たちの心を強く打つ。なぜか。それは私たちはみな、心の底で「違う自分に出会いたい」と思って生きているから、だろう。でもそれは「とても辛い道」だ。だから、今の自分でできることをやればいいのだ、と言い聞かせて生きている。でもそれではどうしようもない時があるのだ。だからその祈りに真剣にぶち当たっている人を見ると、心を強く揺さぶられる。だから、真剣に強がる人はエモいのだ。
小鞠の祈りの結果がどうなるかはわからない。あまり変わることが出来ないのかもしれない。人は変わりたいときに変われるものじゃない。でも、あんなに真剣に祈ることができた小鞠は、何かいいことが起きるに違いない。祈りとはそういうもののはずだ。

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