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『負けヒロインが多すぎる』11話/誰かと向き合うには、まず自分を晒せ。

『負けヒロインが多すぎる!』11話視聴。とにかく凄い回だった。人の心の深いところを描いてくる。気軽に見れるアニメなのに、こんなにいろいろ考えさせられることになるとは。温水と小鞠のやりとり、そして温水を見守る佳樹と八奈見について、くどくどと考えたことをメモしておく。

#ネタバレあり

●失敗して学べばよい、という落とし穴
小鞠は部長会に向けて、人前で話す練習をする。が、極端に緊張してうまくいかない。その姿を見ていた温水は心配になる。小鞠に向かって「無理をするな」と言う。今回は俺が代わりに説明する、とまで言い出す。
見ている私たちはこう思う。小鞠は部長をやると決めたのだから、少しづつ慣れてゆくしかない。確かに小鞠は失敗するだろう。でも失敗から学ぶべきだ。温水は心配しすぎだ。温水の過剰な心配の方が、よっぽど心配だ。
そして実際そういう展開になる。今回の話は「温水の過保護が原因で起こる問題の話」のように見える。でも途中でそんな単純な話ではないことがわかる。部長会でみじめな姿を晒してしまった小鞠。そして温水のセリフを聞いてハッとする。

みんなは何日かすれば今日のことは忘れてしまうだろう。でも小鞠にとってはそうじゃない。

私は、小鞠は失敗して成長すればよい、と思っていた。でもそれは「何日か経てば忘れてしまう人たち」の側の感覚だ。どんな失敗でも人は乗り越えられるはず。そういう感覚を持つ人の言い分だ。でもその感覚は間違っている。乗り越えられない失敗はある。そんな風に傷つくべきじゃなかった、というタイプの心の傷は「成長のためのバネ」にならない。心をすり減らせてしまうだけだ。そして小鞠の失敗は、そういう心の傷になりかねないものだ。だから、失敗させるべきだと単純に思っていた私より、温水の方がずっと小鞠の側に立っていたのだ。

●手出しできない状況でも、無理して手を出すガッツ
それでも、温水は小鞠にどう手を伸ばしたらよいかわからない。部長会に乱入して小鞠の代わりに強引に報告しようとしたのは、決して良い方法ではなかった。それでは小鞠の努力が無駄になる。それでも「見て見ぬふりする」より遥かに良かったはずだ。それはなぜか。温水の暴挙で、小鞠は自分自身に絶望する暇がなくなった。温水への怒り(なぜそんなことをする!私の気持ちを少しは分かれよ!)に向かったのだ。温水の乱入よにって、表面上の「修羅場度」は爆上がりした。でもこのとき小鞠は、自分自身を全否定してしまう直前だった。危うく「根深い心の傷」を抱えるところだったのだ。その刹那に、温水が乱入して勝手なことを言い出す。そのことによって小鞠は心底腹を立てる。温水に蓋の開いたペットボトルを投げつけるくらい腹を立てる。でもそれは、比較するなら「根深くない問題」なのだ。だからこのときの温水に「ナイスガッツ、温水」と、誰かが声をかけるべきだと思う(ぜんぜんナイスガッツには見えないけど)。

●自分を晒せ:他人の問題に首を突っ込むときの礼儀
その後の展開も、さらに素晴らしかった。温水にとって「小鞠の気持ち」はずっと謎だった。この話の最後に小鞠の気持ちが明かされる。どうせそのうち一人に戻ると思っていて、一人で出来ないとダメだと追い詰められていたのだ。それを知っていたら、もう少し上手いやりようがあったはずだ。でもそこまでは温水にとって、小鞠の言動は謎だった。だからいろいろ見当違いの方法を取った。温水は、もっと小鞠の気持ちを察しようとすべきだったのだろうか。私はそうは思わない。私たちは他人をちゃんと理解できない条件で生きている。他人に心の深くまで理解されているのは気持ち悪い。だから、小鞠の気持ちが分からなかったのは、自然なことだ。小鞠の本心を察することが出来なかったことが問題なのではない。でもなにかが、温水には足りなかったのだ。だから二人のやり取りは終始「ちぐはぐ」だった。

問題をまとめよう。温水は小鞠の気持ちがわからなかった。それはいい。でも、温水は小鞠に対して過保護すぎた。温水には何が足りなかったのか。

それについて佳樹が指摘している。小鞠にどうあってほしいのか。それが抜けていた。「あなたにこうあってほしい」と伝えるのは想像以上に難しい。「部長会で報告できるようになってほしいと思わない。そんなの小鞠らしくない。俺は小鞠の書いた小説が好きだ。小説を書く小鞠。俺はそれをサポートしたい。」そんなマジな本心は、本人に向かっては言いずらい。つまりそれは温水にとっての「ある種の秘密」なのだ。そしてその秘密を明かす必要があったのだ。それを知った小鞠はようやく温水の気持ちを受け入れる。温水に部長をまかせようと素直に思うことができる。これはつまり、人と本気で向き合いたいのなら自分を晒せ、ということだろう。自分の中の何かを差し出すことなしに、他人の「秘めた気持ち」に対して客観的な意見だけを言うのは、アンフェアーだ。それは何かが間違っている。温水が過保護に見えたのは、自分の気持ちには触れずに、小鞠の抱えている問題ばかりを気にしていたからだ。小鞠の問題にばかりフォーカスし続ける温水の態度はフェアーじゃない。だから過保護に見えたのだ。

●おせっかいを続けられるのが温水の良さ
それでも、温水は小鞠に対して、終始「おせっかい」を続けた。気持ちが上手く伝わらない。そのせいで自分の気持ちもぼろぼろになりながら、小鞠にかかわり続けた。それはフェアーさを欠いたやり方だった。過保護すぎてちょっと気持ち悪かった。でもそれが、小鞠の中に「謎」を生み出した。なぜ、ほっといてくれないんだ?それが、最後の最後、ぎりぎりで小鞠を「闇落ち」から救った。それは、温水が「ほっとけない」と思って熱くなっていたからだ。そしてそれこそが、八奈見がずっと温水に対してアドバイスしていたことだ。いつものように、おせっかいをしなよ、と。それが八奈見から見た温水の良さなのだろう。八奈見は想像よりずっと「物事の本質」を捉える力がある人なのかもしれない。そんなことを感じる11話でした。

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