3Dくささ

3D臭さがでているキャララクターモデルと魅力的なキャラクターモデル

出来不出来は作り手によるところがとても大きい。この2つには一体どれほどの壁があるのだろうか?

そして、この壁は具体的にどんな要素から構成されているのかを考察してみたいと思う。

そもそも3Dくさいモデルはどんなものかパッと思い浮かべてみて思いつくのがバタ臭かったり、無駄にごてごてしていたり、形が狙った造形と異なりプリミティブな原形を残している場合だと考えられる。

自分はこれを「立体情報の取捨選択ができていない造形」とよんでいる。

3Dモデルには使用目的が大方存在している。特にゲーム系は必ず何かしら用途があってキャラクターは制作されるものだ。

では、仮に「どうぶつの森」のようなデフォルメされたかわいらしい世界に「バットマン」のような筋骨隆々のマッシブがアメコミ絵寄りででてきたらどうだろうか?

それはとても違和感がある。

つまり絵に合ってないわけだ。

このバットマンも不要な情報を整理して適度にデフォルメすれば村人のひとりとして受け入れられることだろう。


おおよそ、3D臭い、魅力に乏しいモデルというものは目的を見失った、情報が未整理の状態なんだとおもう。

自分は元々イラストレーター出身でキャンバスに絵を描くことに慣れている人間だから、どの線を残しどこを消して、どこに色をおいてバランスを取るか、常に情報の取捨選択をすることに慣れている。

この側面がキャラクターモデルが3Dくささのない、説得力のあるモデルになるかならないの壁じゃないかとおもう。

情報の取捨選択のできていないモデルはすべてを入れようとする、全部入りラーメンだ。だから見苦しい絵になる。それは素人の眼でも過剰な立体情報には拒否反応がでる。当然だ。

3Dくささというのはおよそ灰汁みたいなものなのではないかと個人的には感じている。

3Dくささをなくすというのは徹底的に不要な情報を捨て、情報を整理し、みるひとがパッと見てなんであるかがわかることだ。

これが3Dくささの壁の正体だと考えている。

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