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勇気爆発バーンブレイバーン【アニメ感想】 「ヒーローになるには」


なぜ視聴したのか?

本作は公開後SNSで「内容が気持ち悪い」と話題になっていました。遅ればせながら視聴しましたので感想を記載します。

「勇気爆発バーンブレイバーン」は何をしたかったのか?

ブレイバーンの気持ち悪さとは

視聴者がブレイバーンを気持ち悪いと思うのは、ロボアニメに性的表現の隠喩があるというのもありますが、もっと根本的な問題があります。

それはブレイバーンが「ヒーローアニメ」ではなく「ヒーローショーアニメ」であるからです。

1話の冒頭では、本作は極めて真面目な軍事モノとして話が始まるのですが、終盤にブレイバーンが出現し雰囲気が一気に特撮ヒーローものっぽくなりました。
そのテイストは今までの話の流れに全くあっていなかったため、視聴者は違和感を感じたと思います。

ブレイバーンは常に「ヒーロー感」を振りまいています。
危機に直面している人類に対し、常にヒーローのノリで接してくるため、ブレイバーンと人間の温度感に差があり、この差は人類を飽き飽きさせ、イサミをキレさせます。

温度差を感じるのは、この話が人類の視点に立って進められているからです。話のなかで人類(と視聴者)に起っていること(文脈)はあくまでシリアスなので、ブレイバーンが一人だけ違うノリで来られるとそれが異物のように感じることが、違和感の原因の一つです。

ブレイバーンのノリの理由

ブレイバーンが人類に対してヒーローっぽく振舞うのは、人類をからかっているわけではなく、メタフィクション的にそう設定されているからだと思われます。

本作はロボットアニメというより、特撮ショー、ヒーローショーアニメに近いです。
ショーなので、ブレイバーン及びデスドライヴズ(作品に出てくるロボット達)はこの世界が特撮(虚構)の世界だと知っているのです。
その上で自らの役割を演じているという人類との認識の違いがあるのです。

ブレイバーンは人類を救うことよりも自分の役割を演じることの方が優先度が上です。それは作品にメタフィクション要素があるからです。

なぜそんなことをするのかというと、本作のテーマがヒーローだからです。

ヒーローショーはバカバカしいか?

本作はヒーローとは何か?について描くため、メタフィクションという構造を採用しています。
メタ構造を使う理由は、本作がヒーローを「虚構である前提」(現実ベース)で考えているからです。

現実世界の私たちはヒーローが虚構であると知っています。子供の頃はヒーローを信じていましたが、大人になって現実を知りヒーローなんていないことを知ります。
(子供たちもフィクションを知ってはいると思いますが話の上ではそういうことにしておきます)
大人になってヒーローになりたいと思ったら、ショーの中の演者になるしかないのです。そうすればそれを見ている子供たちにとってのヒーローになることができます。

この世界観をベースにすると、本作を3つの視点で語ることができるようになります。
▼本作を見る3つの視点
①:ヒーロー世界が特撮であることを知らないキャラクター⇒人類、イサミ
②:ヒーロー世界が特撮であることを知っているが、役割を果たすことをバカバカしいと思っているキャラクター⇒デスドライヴズ
③:ヒーロー世界が特撮であることを知っているが、役割を前向きに演じているキャラクター⇒ブレイバーン(スミス)

現実世界の私達の思考は子供から大人になるにつれて、①⇒②へと変化します。
自分が演じている役割をバカバカしいと思っているところが、デスドライヴズのヴィランたる所以です。だから彼らは性格が壊れており、「自分にとっての満足」や「死」を求めています。彼らは作中の役割から解放されたいと願っているのだと思います。

スミスがブレイバーンになった理由

スミスがブレイバーンになったのは、演者の役割を本気でやることができたからです。
ヒーローがショーの中の存在だったとしても本気でやりたいと思うくらいスミスはヒーローが大好きだったのです。

本作にとってのヒーローとは、人類を守ることでもなく、ロボットに乗ってかっこよく戦うことでもなく、バカバカしいことを本気でなすことです。

自分がピエロだと分かった上で本気になることは、精神が成熟していないとできないことだからです。
これが現実的に考えられた「ブレイバーンのヒーロー像」なのだと思います。

クーヌスがスミスを求めたのは、①であるスミスと合体すれば「自分の役割に本気になることができる」と考えたからではないでしょうか。
結果として2人は自爆しましたが、スミスのヒーローになりたいという思いはクーヌスに作用してブレイバーンが生まれました。

ブレイバーンは自らの役割(ヒーロー)を全うしようとしましたが、役割は①⇒②へと変化しており、自分で「本気の心」を生みだすことはできませんでした。
ブレイバーンはヒーローっぽさを出すことはできますが、ブレイバーンもまた役割に閉じ込められた存在となりました。

作品のため、視聴者のため、ヒーローには熱い魂が必要です。よって①の存在であるイサミを乗せようとしたのだと思います。

まとめ

ブレイバーンはくだらないことをくだらないと分かった上で本気になれる存在をヒーローと呼んでいる。
現実世界のヒーローをロボットアニメのジャンルで表現するためにロボット達の役割をショーの中の演者として描く手法を採用した。
ブレイバーンはメタ的に人類に接するため、視聴者は気持ち悪さを感じる。


自分の考えを上手くまとめることができず、拙い記事になってしまいましたが作品は面白かったです。終わり。


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