海の時間/虫の時間
10年くらい前のある日、僕は直島にいた。海沿いの美術館をひととおりうろうろしたあとで、ガラス張りの白いミュージアムショップに入ると、濃いブルーのジャケットの一枚のCDが目をひいた。
Walter De Maria "DRUMS AND NATURE"
そう書かれたアルバムはそっけない装いだった。この作品は知らなかった。De Mariaという名前も知らなかったし、ジャッケットにも特に惹かれはしなかった。ただ何となく分かったのは「多分これは買った方がいいんだろうな」ということだった。
しばらくして家に帰ってから聞いてみた。特に感銘は受けなかった。これは、ドラムと環境録音の音楽だ。とりわけドラムの音が良いわけではない、録音が優れているわけではない、と思った。特にこれといった感動もなければ、音楽を聞く喜びのようなものもまた、そんなにはなかった。もっといえば、このCDを聞いたのはこの時だけで、それからは一度も聞き直すこともなかった。
先日、とある映画の制作チームで定例のウェブ会議のようなものをしていた時に、このCDのことを思い出した。ちょうど、映画という芸術が時間を扱うものである、ということについて話していたときだ。
「音楽もそうで、時間を扱う表象技術なんだよね」
「作品の中で時間の経過を提示する展開を考える」
「時間を感じさせたくない、よほど理由がない限りは」
そんなやりとりをしていた。その時に、ふとこの青いCDのことが頭に浮かんだ。一度だけ聞いて強い印象は残さなかったはずのこの作品のことが、突然。10年ぶりに。
”DRUMS AND NATURE”は、基本的にアンチクライマックス的な作品である。音楽作品であるから始まりと終わりがあるが、一聴して展開というようなものは特に明らかには聞き取れず、淡々としたフィールドレコーディングと淡々としたドラムの演奏が長時間つづく。時間を扱う芸術であるはずの音楽という作品の体裁をとってはいるが、音楽的には明らかな時間経過の展開が提示されていないのである。
「DRUMS AND NATUREみたいな展開のない音楽、そんな映画もありだとは思うけどね」
ここまで言って「そうじゃない」と自分で気がついた。いや、この音楽には決定的な時間経過が示されている。つまりそれは、フィールドレコーディングによって収録されミックスダウンされた波の音であり、昆虫の鳴き声だ。絶え間なく変化しながらも、同じように延々とつづく自然の音が聞こえ続ける。そのことがそのまま「時間が経過した」ということを示していたのだった。
いや、それも違う。いや確かにそうだけれど、違う。もっとある。ドラムの音、スネアの一打が聞こえるということが、すでに時間を示しているのだ。音とはつまり空気の振動であり、振動とは時間当たりの角回転数だ。つまり音が聞こえるという現象自体が既に時間の提示を含んでいるのだった。
なんであんなに印象が薄かったCDのことを突然、思い出したのかなと自分でも不思議に思ったのだけれど、よく考えてみるとそういうことだった。つまりそれは、僕が今まで聴いた音楽の中でこの音源が、もっとも純粋に近い形のミニマルな時間経過の提示に成功していた作品だったからなのだろう。
さて、映画のプロットは結局一体、どうなるのかな。
以下投げ銭用。これ以後、全く追記の内容はありません。
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