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人生の転機は、目の前にあった

ありのままの自分を全面に出して生きようと決めた、人生の転機を書いた記事です。自己紹介でもあります。

私の家族は、4人です。

80代障害者1級・介護3級の車椅子の義母。90代持病持ちのヨロヨロした義父。そして60代精神障害者2級の自分の世界に夢中な私の夫。

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質量のある出だしになってしまいましたが、私以外は持病持ちの高齢者と障害者になります。つまり健常者は私だけです。年月とともにプラスされた環境でしたが、私はそんな家庭環境が嫌でした。だから自分事に捉えたく無く、どこか他人事みたいに受けっといました。本音は棚にしまい、できるだけポジティブに捉えることで、気分を紛らわしていたのです。

一見上手くいってるみたいですが、現状を直視しないから、お金や生活面でも、ずいぶん抜け落ちていました。今は、何でちゃんと見ていなかったのだろうと、損した気分です。しかしその時は、日常の事は見ると苦しいから、できなかったのでしょう。そんな損をしてしまったネタは、後日お知らせ致します。

そして、背けたくる現状を表面的にはポジティブに変換して、本音ではこの人生は本来の自分じゃないと思っていました。だから、その弱点を埋める矛先が私は仕事になって行ったのです。

酒は飲めない、タバコも吸わない、ましてや浮気するキャラでも無かった私。たまに素敵ランチに行って、酔いしれる可愛いいレベルでした。
だけど、仕事はお金も入るし、その家庭環境を変える事さえもできる。だから反転させる勢いで、大きなビジョンを掲げて働いて来ました。家庭の質量が大きければ大きいほど、仕事に挑むパワーも大きくなっていったのです。そして、そこで満足感を味わい、益々家庭は避けて行きました。仕事だからと、正当性を持ってです。今思えば、本当にやな奴です。

しかし、ある日を境に、どんどん生き方が思うようにいかなくなって来たのです。この時は気づいていなかったのですが、今の私から見れば、本来の自分が軌道修正を始めていたのです。

そのきっかけとなった出来事は、仕事の仲間の間で、『本来の自分の生き方を見つけて行こう』と話が出ました。そして皆で交流がはじまり、お互いの聞き取り調査をしていきました。ここの詳細は「心の整理」で詳しく話していきたいと思います。

その交流から、どんどん私のリズムが乱れてきました。「本来の私」「私の個性」「歩むべき道」「心の底からのニーズ」等、呪文の様に唱え続けて2年。今までの仕事が、環境的から、また自分からと日に日にできなくなっていきました。

何がしたいのか?どんな仕事を本来の私が望んでいるのか?考えれば考えるほど、わからなくなっていきました。今まで自信を持ってやってきた仕事が、だんだんと自信が無くなってきたり、心が大きく揺さぶられる日々が続きました。そして、この2年間もがいていたからか、人間関係が本当にわからなくなり、苦手になって行きました。

以前は、仕事関係者からは、貴方は人間関係が得意な人と、思われてきたし、自分でも思って来た。でも今は受け入れがたい現状になり、自信が全くなくなって来たのです。そして、やりたい事すら全く無くなってしまったのです。

今までやりたかった事が、砂のごとく消えて、あれって何だったの?錯覚?私は何をしにこの世に生まれて来たの?
だから、生きる意味さえ感じなくなってきました。ここまでくると鬱・自殺の境地ですね。

そして、私に残った世界は、なんとこの目の前にいる3人の家族だけになっていたのです。
見つめれば見つめるほど背けたくなる、このメンバー。でも愚痴を言う人も無く、憂さ晴らしする時間も環境も無い。ここで「私の人生終わった!」とつぶやくと、不安がどんどんと襲ってきました。気分は毎日死んでいました。

その津波の様に押し寄せる不安を、溜息しながら眺めていたら、自分の心の呟きが少しづつ、聞こえるようになって来たのです。

『私、こんなにも溢れるほどの不安を抱えていたんだ』『あれ?私プラス思考じゃなかった?』『こんな不安のエネルギーが材料なら、それで作る人生は、ろくな人生じゃないな』等の、独り言でした。

色々な有名な本での、「自分の人生は自分で変えられる」「人生は自分で決められる」「どん底から人生は始まる」「思った通りの人生になれる」等々、自己啓発本のフレーズが頭をよぎっていきました。まさに沈むか浮上するか。

「例え馬を水飲み場まで連れって行っても、飲むか飲まないかは、馬しだい」今の私は、この状態だったのです。人生のどん底、分岐点。誰にも頼れないし、人のせいにする気力も無いし。どう一歩を踏むか、この自分の自由な選択だけがあったのです。

そして、この自分に聞いてみた「どうしたい?」そこで、「もう私の人生どうせ死んだも同然。だから、何やっも平気だし、ならばこの材料を変えた人生でも作ってみようかな〜」と、今までに無い不思議な気持ちでした。不思議とは、ワクワクしたり落ち込んでる感じでもない。どうでも良いとか、開き直りとは違うけど、でも近い気持ちでもありました。そんな、波がたたないフラットな出発でした。

そこから、まるで怖い映画を覗き込んで見るみたいに、不安の題材と向き合う事を始めてみました。メンタルだけでなく、具体的な面もどんどん書き出して行きました。

①お金の面

②生活面

③自分自身の仕事の事

④介護の事

⑤精神的な面

・・・・

そして、不透明だった事が、霧が晴れる様にどんどん明確になって来たのです。見えてくると、問題の原因がはっきり見えるので、同時に解決策も見えてきました。この期間3ヶ月ぐらい。

まだ、今も進行形ではありますが、全てが把握出来るようになると、だんだんそれらの内容に、愛着と責任を持てる様になってきました。

つまり、受け入れたく無い人生が、ようやっと自分の人生になって来たのです。目の前の人生が、他人事から自分事に変化した事は、本当に感動でありビックリでした。

その歩みを踏むことで、人生観が全く変わって来たのです。それは、価値観・喜び・ニーズ等でした。まるで私の人生のスポットライトがあたらなかった場所に、ライトがあたりだしたのです。だから、今まで大切に感じれなかった出来事が、大切に思える様になったりと、私の常識が全く変化してたのです。

その不透明から霧が晴れた具体的なあゆみの項目の①②③④⑤は、今後ブログで紹介します。

「本来の自分の生き方を見つけて行こう」そんな始まりから出発した旅でした。しかしその本来の生き方は、受け入れたく無かった目の前の人生の中にあったのです。ずっと背いて歩んできた私、ここまでどん底を経験しないと気づけなかったのですね。本当に鈍感でした。

今はそんな、鈍感で生き方が下手な私をも、可愛いと思えて来ました。時々環境の変化から、あの不安の津波が襲ってはきます。でも一度経験済みなので、その怖い原因を覗き込んで、新たな一歩を踏める様になってきました。

そのたびに、「自分の人生、この自分でしか気づけないし歩めないんだな〜」そんな思いで日々過ごしております。

どんな人も、人生のどん底は1.2度はあると思います。そこで、見たくない自分ときっと出会うのでしょう。でもそんな時こそ、その自分と向き合う勇気がとても大事になります。是非そこで、しっかりその闇を覗き込んで開放し、本来の自分の人生を始動させてもらいたいです。
それは、誰よりもそれを願っているのは、この自分だからです。

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さくら39
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