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''本当の優しさ''への葛藤

「傷ついた分だけ人の痛みが分かる貴方は
その分、優しくなれるからね。」

いつの日か言われたこの言葉。
果たして本当だろうか?

無視されたり、悪口を言われたり、物を捨てられたり、クスクス笑われたりした分、優しくなれる?

何を言っているのだろうか。


死ねばいいのにと言われた瞬間、聖人になれますよなんて言ってるようなものじゃないか。

じゃあ私は小学校6年生の時点で聖人じゃないか。
やったね。

なんてことはないんでしょ?


だって、
中学に入ってもハブられて無視されてる時点で、
高校入って部長になったのに、そんな部長の作品が捨てられてる時点で、証明されてるんだから。

まあ、私の問題ではあるのかもしれないけれど。


優しいってそもそも何?
本当の優しさと上っ面の優しさの違いって何?


傷ついた分だけ優しくなれる は嘘だと思う。
あくまで、傷ついた分だけ人の痛みが知れるだけ。

傷ついた人ほど優しくなれるなんて、そんな皮肉な話、あってたまるか。
傷ついた人を守るためのエゴじゃないか。

ただ、人の痛みを知っている分、同じ思いをして欲しくないという気持ちから来る言動こそが優しさの根源なのだろうな、とは思う。

確かに、人の痛みを知っているのは大きな強み。
それを生かすも殺すも自分次第なのだなと感じる。


まあ、せっかく経験した苦すぎる痛みを棄ててしまうのはもったいない気もする。
というか、私が可哀想。

人の痛みに気付くからこそ自分の痛みにも敏感で、
自分の嫌いなところに人一倍気付きやすいという謎の自負があるのですが、
それを乗り越えるには優しくなるしかないんだなあ

言ってしまえば、
''私は私のために優しくありたい''
というのが正直なところ。

自分を嫌いにならないために。
自己嫌悪にならないために。
誰かに手を差し伸べることで、自分の存在を証明したいがために。

自己中なやつだな、って、思いますか?
思われても仕方ないと思います。
ただ、みんなきっと、心の奥底にこんな気持ちが眠っているんじゃないかなって思うよ。
ひねくれるよなあ、落ち着いてくれよ。


そもそも本当の優しさってなんなんだ?
誰かのために、と自らを犠牲にしてでも、なんの躊躇もなく、手を差し伸べられる人のことか?
そんな人、いるんだろうか。


確かにいる、いるけどさ。
本当に心の底から誰かを思っているのかな?

誰かを助けたという達成感が欲しいからじゃない?
自分はいいことをしたんだというレッテルのようなものが欲しいだけじゃない?


と、ぐるぐる、考える。
誰かのために優しくなるなんて無理だよ。
自分を守るために優しくありたい。素直でいたい。

その優しさが自然と誰かの支えになれるのなら、
それがいちばんだと、思う。

下手くそな生き方しか出来ないな。

まだ、まだ、わからないよ。

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