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「義務とは夢のことである」

「300億の男」煉獄杏寿郎。
かっこいいよね。
鬼からの「永遠の命」の誘いを一蹴して「俺は俺の責務を全うする!」と死を恐れず、むしろ受け入れる姿は、多くの人に斯く在りたいと思わせる力がある。

ところが一部に「いかがなものか」という声があるそうな。

その一部は「責務」という言葉が気に入らないらしい。
責務は「やらねばならぬこと」だから、義務と言い換えても良い。
「命に換えても何かを守らなければいけない義務」を持つべきである、という刷り込みは、すなわち軍国教育につながり、お国に命を捧げることを強要するとんでもない言動であると。

この言説は、脈々と語り継がれてきた、自由や人権を守りましょう、権力は悪ですから、という古典芸能なので、それはそれで「君とは価値観が違う」と見過ごすべきなのだろう。

しかし、である。

「一部」がいうような、危険な、権力からの強制を含むセリフであるなら、国民が違和感を持たず、300億もこの映画に投入するだろうか?という疑問が湧く。「権力による強制はいかんですよ」という刷り込みは、多かれ少なかれ、学校教育を受けてきたものにはある。だからそういう意味が含まれていれば「かっこよかったね」の後に何か違和感が残るはずなのだ。

つまり、「一部」は「責務は義務、義務は権力からの強制」と判断しているが、煉獄さんと、多くの観客はそう判断していないということだ。

では、煉獄さんがいう「責務(義務)」とは、どういう意味なのだろうか。

「ここにいるものは誰も死なせない」。

責務というからには、何かから強制されている訳である。だが、前後のストーリーからすると、「死なせるな」と煉獄さんに命令している法も、組織も、人もいない。

いや、一人いた。

煉獄さんの母である。

煉獄さんの母は、幼き煉獄さんに向かって「なぜお前は人より強いのかわかるか」「弱い者を守るためだ」「そのためにお前の力を使うのだ」と、遺言を残す。煉獄さんは、その言葉を忠実に守っているのだ。

だが、母は「自分が死んでも人を守れ」とまでは言っていない。

厳密には、煉獄さんに「責務」を命じているのは、母でもない。

煉獄さんに責務を全うさせているのは、誰でもない。
「煉獄さん本人」なのである。煉獄さんは、母の思いを超えて、「誰も自分の目の前で死なせない」という夢を持った。夢を壊さないために、己の命も惜しまない、と。

通常、夢は「権利」なのだと言われる。自分で持ち、自分で実現のために頑張る。自分で自由に扱えるもの。「一部」の人たちも、「夢を持つことは素晴らしい」という。

「夢見る権利は誰にも奪わせない」という意味のセリフは、アニメの先達からいくらでも見つけることができる。「俺の夢の邪魔をするなあ〜〜」と、敵を蹴散らすヒーローもたくさんいた。

「夢は素晴らしいものだ」という言葉は、しかし、何か空々しい響きがあったことも否定できないだろう。
なぜなら「夢は権利」という考えには、一つ欠落しているモノがあるからだ。権利というものは、「持つのも自由だが、捨てるのも自由」。
「捨てる選択肢」が有る限り、「夢は叶わない」。

「捨てても良いようなものは夢と呼んではいけない」
なれたら良いな、あったら良いな、という淡い期待を、今、人は夢と呼びすぎる。

「夢」とは、死んでも捨ててはいけない「責務(義務)」なのだ、と、煉獄さんは叫んだ。
多くの国民が、それに共鳴した。そして、300億の男が生まれたのだ。

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