あいみょんの中の人は70年代生まれじゃないのか・・・「さよならの今日に」

いきなりイントロからギターが「泣く」。
あまりにもストレートなロックンロール。
オールドロックンロールとでも言おうか。
こんな どストレートなロックが21世紀にあって良いのかというくらい「古い」。

それにしても、何故彼女はこれほどの絶望を歌うことができるのか。
「失われたもの」への愛惜は、多くのミュージシャンが歌ってきた。
だが、だいたいにおいて、それはミュージシャンの年齢的なものもあり、「全てを失ってもなお、箱の中には希望が残った」という歌になることが多い。
ミュージシャンの全盛期は、ほとんどの場合10代から20代で、どんな悲劇に襲われたとしても、「やり直しがきく」年齢だ。本当の意味で「取り返しがつかない」という感覚が理解できないのだと思う。

そして、その年齢を過ぎるとほとんどのミュージシャンは、あとはお釣りで生きてゆき、魂の叫びを絞り出す必要のないルーティンワークへと落ちてゆく。
どん底を歌うことができるような経験をしているミュージシャンは、それを表現する才能がない、という状況になる。
だから、「おっさんたちの絶望」を歌うことができる存在はほとんどいなくなる。

おっさんになってもトップを走り続けられる才能もあるにはあるが、そいつらは「妖怪」であり、70歳になっても、10代のままである自分になんの疑問も持ち得ない。

そんななかにあって、この曲は、凄まじいまでの「おっさんの絶望」を歌っている。
「切り捨てた何か」「残された何か」どちらも、何かを作らない。
ふと気がつけば、こんな遠くに来てしまった。
何かを犠牲にしたというほどのものでもない。
何かを大事に守り、築き上げてきたわけでもない。

なのに、自分は、もはや取り返しのつかない「こんなところ」にいる。
そして自分は何者でもない。

何者でもない自分が変わることがないことはわかっている。
わかっているのに、考えてしまう。
あの「キング」と呼ばれた男だったらどうするか。
「謎に満ちたあいつ」ならどうするか。

きっと、誰もが驚く、感動的な「何か」をしでかしてくれるだろう。

そう夢見たおっさんは、でも、我に返る。
キングでもあいつでもない、ただの白昼夢を見たおっさんなんだと。



歌詞はこちら
http://j-lyric.net/artist/a05996f/l04f6bc.html

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