推しのおかげで機能不全家庭を抜け出した話

5月21日。家庭が壊れた。

私の幼少期はあまりいいものではなかった。
表面上は仲のいい家族だったが、母親がいわゆる毒親というやつだった。
母は自分で自分の機嫌がとれない。
機嫌のいいときは一般的な母親。
だがひとたび機嫌が悪くなれば暴言を吐く、殴る蹴る、服を破く、夜中でも家から閉め出すなどするので、常に母の機嫌を伺っていた。
(なお、父は常に中立を宣言していたが、まだ10歳にも満たない私に「ママはもう大人になれないからあなたが大人になりなさい」などと諭したので母ほどではないがやはり敵だと思っていた)
だが、私の成長につれてヒステリーが顔を出す回数も減り、かつての恐怖や怒りに蓋をして、親子関係をやり直せていたつもりだった。
あの日までは。

5月21日。あの日の母が戻ってきた。
原因は、今でもわからない。
運悪くそのときは在宅勤務で、同じく他人に機嫌をとらせる客の案件を持っていた。
元々低空飛行だった精神は、一気に限界になった。

食事が喉を通らなくなった。
何故死にたいのに面倒な咀嚼をして生命を維持しなくてはならないのだろう?
平気なフリをしていたかったので何が何でも仕事には行ったが、外を歩けば「あの建物から飛び降りたら死ねるかな」という思いで支配された。
それしか考えられなかったので、突然歩き方がわからなくなってしまった。
右足を出して左足を出すと歩けること(当たり前体操)はかろうじて思い出せたのでQWOPのように進んだ。
階段の登り方もわからず1段ごとに崩れ落ちた。

私は「まぁいざとなれば死んだらいいや」と思うことで日々を生きていた。
なので、死のうと思った。

今これを書いているので当然だが、死ねなかった。首を吊ったが意識が戻ってしまった。
飛び降りようとも思ったが、後遺症が残るのが一番怖かったので調べたが自宅マンションの高さでは死ねない可能性が高かった。
歩き方さえ忘れても出来るだけ迷惑をかけないように縮こまる癖が忘れられなかったので、不法侵入等はできなかった。

困った。
退路が絶たれてしまった。
死ねなかったが、生きる気にもなれなかった。

ここまでが私の身の上話だが、私には推しがいた。
「華Doll*」というドラマCDと楽曲を中心に展開している作品に登場するアイドルユニット、「Loulou*di」のセンター兼リーダー、「烏麻亜蝶」様だ。

Loulou*diは6月14日にファイナルアルバムを発売する。
何がなくとも私の精神はあまり上を向くことがなかったが、とりあえずこの日を迎えて、どんな結末でも見届けることを決めて日々を生きていた。
これだけが、未練だった。

未練ではあったものの、疲れた心と頭では行動は起こせなかったし、唯一起こした自殺という行動は失敗に終わったので、とりあえず感情が鈍磨するまでやり過ごそうとした。
6月14日までやり過ごすために、寝るときもLoulou*diの曲を聴いた。
どれだけどん底でも、Loulou*diに触れているときだけは幸せだと思える自分がいた。

Loulou*diは独自の世界観を持ったアイドルユニットだ。
Loulou*diの楽曲を聴いているときは、この冷たい世界から消えて、Loulou*diの楽曲の世界に逃げることが出来た。
そこには「投げつけられた泥は存在できなかった」。

Loulou*diの楽曲には共感があった。
私は「止まない雨はない」とか「明けない夜はない」のような言葉が嫌いだった。
いつかではなくいま雨が止んでほしいから困っているのに。雨が止むのはいつなの? 傘はどこで手に入れたらいいの??
夜だけが優しいのに明けるから困っている。それは眠ったままでいられなかったことを悲しがる朝を知らない人の言葉だ。
Loulou*diはこの世界を素晴らしいものとして歌わなかった。
晴れも、朝も、「一般的な素晴らしいもの」かつ「私には素晴らしくないもの」を褒め称えなかった。
彼らは「この世に生きる価値がなかった」「今が朝か日暮れなのかさえわからなくなる様で」と歌った。
同じ地獄を、生きていた。

Loulou*diの世界観は亜蝶様が作り出しているので、亜蝶様だけが私の理解者だったが、やはり同時に「推し」だった。
一人のアイドルとしても、神視点でシナリオを見た一人のひととしても推していた。
亜蝶様はアイドルとしては柔らかく美しい物腰でLoumiel(Loulou*diのファンネーム)を大切にする、完璧なステージと頂きを目指すアイドル。
一人のひととしては激情と精神力を持って理不尽や嫌いな自分に怒り、抗い、そして愛を求めるひとだった。
後者に関しては、本人はそう見られることは嫌だと思うのだが、私にはその全てが眩しかった。
私にとって亜蝶様は、理解者で、推しで、神さまみたいな、ひとだった。
彼が最初から何もかも持っている全知全能の神でなく「ひと」だからこそ、推しだったのだ。

私にとっての「推し」は唯一の生きる理由だった。そして、自我は「死にたい」しかなかったので行動指針になった。
(ただ、彼はこれを責任転嫁と呼ぶだろう)

前述の通り亜蝶様は「抗うひと」だ。
彼はこう口にした。
「虐げられることに慣れるのは怠慢だ」と。
私は感情が鈍磨するまで待とうとした自分を間違っていると認識した。

また、大好きな楽曲の一つである「Invisible Cross」のテーマの一つがこれだった。

私は生きるために「やり過ごす」のではなく「抗う」ことにした。
家だと思っていた牢獄から、何としても出るのだ。

そこからは急ピッチで引っ越し先を探し、ライフラインや最低限の家具家電、その他必要なものの手配を行った。
自分に正常な判断力があるとは思えなかったし、選択することにはエネルギーがいるので苦しかったが、力なら亜蝶様が、Loulou*diがくれた。
こうして歩き方さえ忘れた頭で、1週間で引っ越した。

新居では、最初に棚を買った。
Loulou*diのCDを飾る、アンティーク調の黒い棚。
ここにファイナルアルバムが置かれたときのことを、覚悟はしていても正直想像は出来ない。
だが、私の命も、手に入れた安らげる家も、全て彼がくれたものなのだから、どんな結末を迎えても、彼が何を選んでも、この先ずっと、彼の存在は私の埋み火であり続けるのだろう。
私に力と幸せをくれたひと。そして、世界で一番幸せでいてほしいひと。
願わくば、彼が何者にも選ばされることなく、納得のいく選択が出来ますように。

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