リコリス・リコイルを観た話
私の心のベホマズン『リコリス・リコイル』(以下「リコリコ」)が最終話の放送を終えてから、ほんの少しだけ時間が経った。
リコリコの放送日は待ち遠しかった。毎週月曜日、少年ジャンプの発売を待つ、あの頃のワクワクにとても近いものがあった。
私が心を奪われた二人の主人公について少しだけ紹介させてくれ。
二人の主人公
- 錦木 千束(にしきぎ ちさと)
本作は、千束の『きょうも天気で私も元気、ありがたい~!』というセリフで始まる。彼女の明るい天真爛漫な性格を、冒頭一発目で端的に表している。
二次元と久しく触れ合うと、千束というメガワット級のスマイルを持つ、圧倒的太陽と対峙した際にイチコロな自分がいた。
詳細な人物像については、まとめサイトに譲るが、私は元来彼女のように優しい心を持ちながらも、明るさの奥にどこか掴めない闇を感じるキャラクターに惹かれがちである。
- 井ノ上 たきな(いのうえ たきな)
千束を右脳的と表現すれば、たきなは左脳的な人物であり非常に合理主義である。クールで真面目、強い意志と高い上昇志向を持つが、持ち前の合理主義ゆえに周囲とのトラブルが付きもので、一言で言えば、非常に不器用な人物である。
話数を重ねるにつれ、私はこの破壊的に魅力的な二人を大好きになっていた。また、各回EDで最高のタイミングで挿入される、疾走感溢れるイントロが特徴の神曲『花の塔』も本作の代名詞であるが、こちらも最高に大好きだ。
EDの次作に興味惹きつける展開、突破力凄まじい『花の塔』とのパワープレイは、私のような中毒者を続出させたことだろうと思う。
間違いなく今期最高傑作である。
最終話を観終えた私が抱いた感情は、巷の”批評家気取りのヲタク”というスタンスとは全く異なるもので、「ただただ、もっと彼女たちを見ていたかった」という、一視聴者として素直に直面した”喪失感”そのものである。
いわゆる「リコロス」という私が陥った現象は、とても懐かしく久しい感情である。最終話の放送終了後の数日間、思いを馳せる意味でこの現象を思考し、なぜこうした感情が喚起されたのか、本質を推し量ろうと考えを巡らせたが、リコリコはそういう類の作品ではないのだと察した。
ただただ、シンプルに好きだ。それでいい。
ちさたきよ、永遠に。
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