なぜメガミはメガミなのか(メガミの名前に関する妄想)
はじめに
メガミはそれぞれ漢字で書かれる名前(例:揺波)とカタカナで書かれる名前(例:ユリナ)の2種類が存在している。
なぜ、わざわざ2種類を分けているのかという疑問に端を発する文章となります。
また、原作追えていないので、作中に本記事と異なる設定がある恐れがあり、ふわっと知識で書くので、そうだったら面白いかも と思っていただければと思い書きます。
仮説
人間でもメガミの力を扱えるよう名前をカタカナで現わすことにしているのではないか
軸となる考え
①名前そのものには力がある
②本当の名前にはより大きな力がある
③格の高い相手の名前を呼ぶことが不敬である
という文化をもとにメガミの名前について考える
メガミの名前について
メガミをカタカナで表記、または呼ぶことの意味付けは2つ考えられる。
1)名前を変える=メガミの力と神格を下げる
メガミが自身の本当の名前から変える(漢字→カタカナ)ことでメガミとしての力を抑えているのでないだろうか。
神の力というものは基本的に人間に御せるものではないが、メガミは本当の名前を避け神格と力を下げる意味は3つある。
①メガミの力に人間が耐えられるように出力を抑える。
②出力を抑えることで決闘での大きな事故を防ぐ
③①②による安全な桜花決闘の運営
また、多くのメガミは自身の本当の名前(と思われる)カードがあるが、多くは扱いが難しいあたり、本来の力の扱いの難しさが垣間見える。
(特殊な例であるが、「炎天・紅緋弥香」という本来の名前に近い効果を使用したミコトは敗北する効果がある)
さらに、「メガミへの挑戦」ではミコトが使用する力以上で相対することから、メガミが本来の力に制約をかけていることが見られる例の一つとしてあげられだろう。
(補足:メガミに挑戦での、使用される文章が「朧」や「森羅」などに代わっているなら、面白いな、、と思いましたが、カタカナ表記でした)
2)メガミ自身がミコトに対して寄り添うための呼ばれ方
「桜降る代に決闘を」の世界において「神」という文字は存在するが、「メガミ」が「女神」としてあらわされることはない。
作中の設定において、「メガミとは桜とともにある超自然的な存在」とある。
メガミは神ではないが、ミコトや土地の人々に敬われ、畏れられる存在である。
本来、ただの人間がメガミの本当の名前を呼ぶのは恐れ多く難しいものであるが、メガミが本来の名前を隠し、自身の神格を下げること、より人間に近しい存在であろうとした結果が「メガミ」なのではないだろうか
最後に
こうだったら面白いだろうなという意味で深堀りしましたが、いつもの画像で締めさせていただきます。
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