ショートショート07-2:本気出す出すいつか出す
人権を放棄した俺は名前も過去もすべてを手放し、まず"センター”へ収容された。
"センター”とは人権を放棄した俺のような特別愛玩動物を収容しておくための国営施設だ。
俺が収容された"センター”は郊外にある病院のような清潔感のある建物だった。収容者は十人一部屋単位で管理される。俺は俺と同じ九体の特別愛玩動物たちとともに規則正しい集団生活を送った。
と言っても何も厳しいことはない。食事の時間と運動の時間以外は基本的には何をしても自由だ。運動の時間は毎日1時間、昼食後に必ずある。鏡張りの体育館に行くのだ。運動はしてもしなくてもいい。体育館内に様々なボールのや運動器具が用意されてはいるものの、授業のようにやる競技が決まっているわけではない。各々好き勝手に体を動かせばいい。動かさなくてもいい。
ただこの運動の時間の本当の役割は、飼い主候補たちへのお披露目の時間である。体育館の四方を覆う鏡はマジックミラーになっていて、その向こうには飼い主希望者たちが集まっている。どいつを自分の家に置くかを見定めているのだ。
どうせ一緒にいるなら健康的な方がいいに決まっている。だから運動の時間に休んだりゴロゴロしているやつはいない。誰もが精一杯動いて自分が健康であることを鏡の外にアピールしている。俺だって同じだ。夢見ノエルなんて高望みはしない。若くて綺麗な女なら誰でもいい。そういうやつに選んでもらえるよう、デブなりに頑張って動いた。おかげでセンターにいる間に体重はぐんと減った。やるじゃん、俺。
センターに来てから約3カ月。俺の飼い主が見つかった。
その日、朝食後に職員に呼び出された俺は、面会室で瑠美と出会った。
俺を飼いたいと申し出た瑠美は20代前半の、俺のストライクゾーンど真ん中の美しい女だった。ネット通販会社の経営者だといい、なるほどその美貌は確かに自身に満ち溢れていた。控えめだが均整の取れたスタイルをしており、真に金を持っているヤツ特有の腰の低さも兼ね備えていた。"センター”職員に決して居丈高な態度を取らず、終始にこやかに柔らかい口調で説明を受けていた。
瑠美は俺を間近で見て、職員にいくつか質問をした。何を好んで食べるのか、どういう性格か、インドア派かアウトドア派か、など。
職員の回答を受けて満足した様子の瑠美は、最後に服の上から俺の身体を触り、抱きしめた。女に触られるのも、抱きしめられるのも、人生で初めての経験だった。勃起しないようにするのに精一杯だった。
瑠美との面会が終わると俺はまた部屋に戻され、1時間ほど待つように言われた。永遠のような1時間だった。面会室の方では職員と瑠美とが俺を引き取るかどうかについて話し込んでいるのだろう。選ばれるのか、選ばれないのか。それだけが気がかりだった。俺は瑠美をひと目見て、この女に飼われたいと思った。美しくてスタイルが良くて優しそうだからだ。それ以外に理由はない。
1時間を少し過ぎた頃、職員が共同部屋にいた俺を呼びに来た。瑠美に引き取られることが決まったという。俺はハゲデブチビの奇怪な体で、部屋の中を飛び跳ねまわった。
◯
「ポテト、今日からここがあなたのお家だからね」
都内某所にある、タワーではない高級マンションの最上階。趣味のいい家具と高級ホテルのような香りが漂うラグジュアリーな一室が、瑠美の家だった。
俺は家に着くなり瑠美にポテトという名前と、一人暮らしをしていたアパートの3倍は広い寝室を与えられた。
こうして瑠美との生活が始まった。
瑠美の1週間はハードだ。彼女はいつも日が昇る前に起きる。高タンパク低カロリーな朝食をとり、寝ている俺の腹を撫でてから家を出ていく。俺はそこで一度目を覚ますが、起き上がりはしない。うっすらまぶたを開けつつ、ドアが閉まる音をとともに意識を手放す。瑠美はマンション内にあるジムで汗を流してから、徒歩5分のところにあるオフィスへ行く。朝の7時からだいたい夜の10時までみっちり仕事をこなす。
瑠美がいない間、俺は適当に過ごす。寝るのに飽きたら起き出し、冷蔵庫にある俺の分の飯を取り出して部屋に持っていき、買い与えられたタブレットで映画を見たりアニメを見たり漫画を読んだりする。俺が好き勝手していいのは基本的に俺の部屋の中だけだが、特に不自由はない。いろいろ溜まってくると瑠美が洗濯物カゴに放り込んだ下着を借りることもある。本当に不自由しない。ありがとう。
週に2回、午後になるとハウスキーパーのババアがやってきて部屋の掃除と洗濯、そして俺と瑠美の分の飯を作り置きする。ババアの作る飯は味は薄いが、なかなか美味い。
瑠美はパワフルだが、無敵ではない。ときどき泣いて帰ってきたりする。そういうときは俺の出番だ。
「ポテト! ポテト! 来て!」
その日も瑠美は帰宅するなり玄関から俺を呼んだ。部屋から出ていくと瑠美は赤く泣き腫らした目で俺を見て、
「そこに座って」
言われたとおり俺は上り框にどっしり座り込む。すると瑠美はバッグを放り投げ、靴も脱がずに俺にしがみついてわんわん泣く。取り引き相手の愚痴や使えない部下の話や町中で遭遇した嫌な奴に対して罵詈雑言を投げかけながら、俺のふくよかな身体を抱きしめて泣く。「日本を変える100人の20代」という特集で雑誌にも載ったことがある女だとは思えないほど、彼女はときどき少女のような弱さを見せる。
俺は瑠美の仕事のことはよく分からない。ビジネスの話は難しくて嫌いだ。でも若い女に抱きつかれて頼られるのは嬉しい。後から知ったことだが瑠美が俺を選んだ一番の理由は、抱き心地の良さだったという。
瑠美と暮らし始めてあっという間に2年が過ぎた。
夢のような2年だった。
彼女の抱きまくら代わりとなって一緒のベッドで眠り、疲れた彼女の背中を流してやり、わんわん泣く彼女のために身体を貸した。
人権を捨ててよかった。
人権を捨てなければこんな生活はなかった。人権を捨てるだけでこんな天国のような生活が送れるようになるなんて思いもしなかった。
さようなら人権、ありがとう人権。
俺はお前を忘れない。お前が俺に課した様々な枷と苦役を。いなくなってくれてありがとう。消えてくれてありがとう。
ビバ、人外生活。
おい、栗田。見てるか?
俺は寝入った瑠美に抱きつかれながら、マンションの窓の向こうに浮かぶる丸い月を見上げる。
2年前の安居酒屋で、ちょっとした口論をきっかけに絶縁した唯一の幼馴染のことを思う。お前、いい加減本気、出したか?
これが俺の本気なんだよ。
本気を出すってのはこういうことなんだ。
がむしゃらに努力するとか、嫌なことを我慢するとか、力いっぱいやるとか、そういうことじゃない。
自分に切れる最高のカードを切る。それだけだ。
栗田、お前は女の肌がどれくらい柔らかいかなんて知らないだろ?俺はなあ栗田。今、最高に気持ちがいいよ。
◯
最近、瑠美が泣かなくなった。
一緒に寝ようと言いに来ることもなくなった。
帰ってくるのもだいぶ遅い。経営者として働き詰めの毎日を送っているから忙しいのは承知だが、ここ最近は特に帰ってくるのが遅い。おまけに仕事の予定以外で休日に家を開けることも多くなった。
瑠美はプライベートでは基本的にはインドアだ。何の予定もない休みの日は仰向けで眠る俺の腹を足置きにしながら、朝から晩までNetflixを見るのが彼女の楽しみである。なのに最近はなぜ、わざわざ休日に外に出かけるのだろう。
それとなく探りを入れてみても瑠美は「ふふふ」と笑ってごまかすだけだ。
ある休日の夜、久しぶりにNetflixで海外ドラマを一気見した後、瑠美は改まったような口調で切り出した。
「ねえポテト」
「なに?」
「会わせたい人がいるんだけど」
嫌な予感がした。
「気づいていると思うけど私、最近お付き合いを始めたの。相手は取り引き先の会社の社長さん。いろいろと苦労したみたいなんだけど、3年近く前に何もないところから自分で事業を起こして軌道に乗せて、今業界で最注目の若手経営者なの。すごく真面目で、苦労を知っているから優しくてね。私、正直、彼と結婚も考えてるんだ」
「……」
「あなたのことは彼に話してある。写真を見せたら可愛いって言ってくれて、今度ぜひ遊びに来たいっていうの。だけどほら、私がこの家に誰かを連れてくるのって初めてでしょう? 園美さんを除いて」
園美さんというのは週2回やってくるハウスキーパーのババアのことだ。
「来週の土曜日、彼のこと家に連れてこようかと思うんだけど、いい?」
「……」
俺は瑠美から視線をそらした。質問調だがきっと俺に拒否権はない。俺がなんと言おうと瑠美はそいつを家に連れてくる。
どうせ俺は瑠美のペットで、男でもなんでもない。俺には瑠美のプライベートにあれこれと口を出す権利などない。俺からはあらゆる権利が剥奪されたのだ。
瑠美は案の定は俺の無言を「肯定」と都合よく解釈し、嬉しそうに首に抱きついてきた。
「ありがとうポテト!きっとあなたも彼のこと気に入ると思うから」
気に入るわけがない。瑠美に近づく男なんてみんな嫌いだ。
そしてあっという間に一週間が過ぎた。流れる時間に抗うように睡眠時間を削ってみるなどしたが、もちろん意味はなく、土曜日は何食わぬ顔でやってきた。
瑠美は朝から上機嫌だった。珍しく台所に立ち、ハウスキーパーのババアが下準備を済ませた食材を、煮たり焼いたり盛り付けたりして、2人分のランチを用意した。
昼過ぎ。部屋のチャイムが鳴った。俺はリビングのソファでふて寝していた。瑠美からは「ほら、起きてポテト!」と言われたが、俺は聞こえないふりをした。
「おじゃまします」
男の声がした。俺は眉をひそめた。
どこか聞き覚えのある声だったからだ。
「いらっしゃい。遠かったよね?」
「ぜんぜん。それに瑠美ちゃんに会うためならどこにだって行くよ」
「あは、嬉しい」
聞き覚えのある男の声と、いつもよりトーンの高い瑠美の声。俺はソファから身を起こし、瑠美に続いてリビングに入ってきた男を見た。
「ほら、ポテト。ご挨拶して」
瑠美が俺の隣にしゃがみ、背中を叩いて言う。
「……」
俺は言葉が出なかった。こんな事があってたまるかと思った。
しかし相手の男は最初から何もかもを知っていたかのように、薄ら笑いを浮かべて言った。
「こんにちは。はじめまして、ポテトくん」
男──俺の幼馴染である栗田は、来客用のスリッパを鳴らしてソファまでやってくると、俺の三重顎を指で撫でて言った。
俺は頭を振って栗田の手を払った。
「そうだ。いくら足りなかったんだっけ?」
栗田は笑いながら着ているジャケットの懐に手を差し込み、ハイブランドの財布を取り出した。数え切れないくらいの万札をぺらぺらと数えながら俺を見た。
最後に2人で行ったあの安居酒屋のことを思い出す。先に帰った栗田がテーブルに置いていった金は釣り銭どころか、割り勘代にも程遠い額だった。
「ま、これくらいでいいか」
栗田は財布から1万円札を適当に抜くと俺のポケットに突っ込んだ。それから俺たちのやり取りを不思議そうに眺めていた瑠美の腰に手を回し、流れるように自然に唇を奪った。
「んっ、ちょっと、栗田さん!?」
「ごめん、瑠美ちゃん。僕やっぱり我慢できないや」
「我慢できないって、そんな。ポテトだって見てるのに」
「何いってんの、これはただのペットだろ。気にすることないさ」
栗田は甘い声で瑠美にささやきかける。そして満更でもない様子の瑠美とともに、彼女がテーブルに用意した食事には見向きもせず、寝室へ行く。
乱暴な音を立てて閉められた寝室の扉の向こうから、誰に向けてかわからない栗田の声が聞こえてきた。
「今日こそ見せてあげるよ。僕の本気を」
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