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ショートショート66:ノーギターノーライフ

 とあるギタリストのドキュメンタリー番組が放送された。

 今や世界的に名を馳せ、ビルボーチャートにも常連となった彼のワールドツアーに密着し、彼がいつどこで音楽と出会い、悩み、苦しみ、頂点に上り詰めたのかを詳らかにするという内容だった。

 ホテルの一室で、インタビューアーがギタリストに言った。

「音楽との出会いはいつですか?」

 ギタリストは足を組み替え、遠い目をしながら切り出した。

「あれは忘れもしません。とても寒い冬の日のことでした──」

 男はしがないストリートミュージシャンだった。

 近所の商店街の角に夜な夜な現れては、下手くそなギターと下手くそな歌を披露していた。足を止めるものはほとんどいなかった。たまに夢と現実の区別がついていない酔っ払いが現れ、お布施の代わりにゲロを置いて去っていくくらいだ。

 ある年の暮れのこと。今年一番の寒さを記録した夜も、男は商店街のかどでギターの弾き語りを続けていた。ピックを握る指に力が入らず、ネックを抑えるのもままならない。けれども弾くのはやめられないし、歌うのはやめられない。どうしようもないけどこれが音楽だ。

「おい、やめちまえそんなの」

 声に気がついて演奏を止めるとと、目の前に自分よりも少し年上の、それでいて自分によく似た男が立っていた。

 酔っぱらい以外が自分の目の前に立ったのはずいぶんと久しぶりで、また声をかけられたのは警察官以外では初めてだった。

「そんな下手くそな演奏、やめちまえ」

 酷い罵倒だったが、声をかけられたことの方が男にとっては嬉しかった。

「まあまあ。なにか歌いますよ。カバーでもなんでも。リクエストありますか?」

「ある。リクエストだ。今すぐやめろ。ギターを」

「そりゃ無理ですねえ」

「いいか、俺は10年後のお前だ。30歳のお前だ」

「確かに似てますね。あんたと俺は」

「本当だ。俺はお前の未来の姿だ」

 そう言って客は男の本名や生年月日、住所を口にした。名刺やSNSにも公表していない情報だった。

「あなた俺の友達の知り合いとかですか?」

「そうだ。お前自身だからお前の友達の知り合いでもある」

「はあ」

「いいか。とにかくやめろ。お前は10年続けても何の芽も出ない。すべてのオーディションに落とされる。YouTubeにあげた動画は最高で200回再生だ。それも歌が酷いと5ちゃんで炎上してな」

「ダウト。俺は5年後にはプロデビューしてるし、10年後には武道館に行ってる」

「夢のまた夢だそんなの。俺は1年前に音楽を辞める覚悟を決めた。そんで就活を始めたが30歳職歴なし無職の男を採ってくれるほど社会は甘くない」

「大変っすね。でも俺は売れるんで。こっから」

「とにかく今ならまだ間に合う。音楽は──」

 男が鬱陶しそうにギターの弦を撫でると、未来の自分を名乗る謎の客の姿はたちまち消えた。

 何だったのだろう。今のは。

 男は気にせずに演奏を再会した。

 ほどなくしてまた自分によく似た客が現れた。

 さっきの客よりも10歳は年上に見えた。

「今すぐ演奏をやめろ」

「あんたも未来の俺?」

「そうだ。20年後のお前だ。40歳になった」

「へー。仕事は見つかったの?」

「ああ。35のときにな。だがどうしようもないブラック企業だ。パワハラ・セクハラは当たり前、ろくに休みもなく、手取りは泣けるほど低い」

「じゃあそうならないように弾き続けないとな。売れるまで」

「弾き続けたらこうなるんだよ。今のお前は20歳だろ?今ならまだ挽回できる。今すぐギターを止めて大学受験の勉強でも資格試験の勉強でも始めろ。そうすればこんな生活はしないで済む」

「おいおい。俺がそんな情けないこと言うなよ。夢は諦めたらそれで終わりなんだぜ。いつまでも弾き続けないと」

「バカみたいなこと言うな。お前に音楽の才能はないんだよ。作詞も作曲も演奏も全部カスなんだよ」

 客は男の右手を掴みにかかった。硬い指の腹が、ギターの弦から男の右手を離そうとする。ピックが落ちて、冷たい夜に軽い音を立てた。

「なにすんだよやめろよ!」

 男はギターを掻き鳴らし、40歳の自分を目の前から消し去った。 

 いい加減うんざりしてきた。未来の自分があんな情けない人間なはずがない。自分はこれから爆発的に売れて、ビルボードチャート常連になり、グラミー賞を総なめにして、世界が羨む最高のギタリストになるのだから。

 男は演奏を再開した。

 それから2度、未来の自分を名乗る客が現れたが、男は彼らの忠告に一切耳を傾けなかった。どれだけやめろと言われても絶対にやめるつもりはなかった。むしろやめろと言われるたびに止めたくない気持ちが強まっていった。

 最後に70歳の自分を名乗る客が現れた。

「音楽を続けろ」

「へえ」

「お前には音楽しかない」

「だろ? もしかしてその歳でデビューしたか?」

「違う。俺は相変わらずボロアパートで貧乏ぐらしだ。友達も恋人も家族もいない。近所付き合いもない。孤独な老人だ」

「んだよ。情けねえな」

「むしろ暇さえあれば部屋でも近所の公園でもギターを引いているから、奇人扱いされている。近所の小学生には『妖怪ギタージジイ』と呼ばれる始末だ。俺は連中に『ギターやりたいやつがいたら俺の家にきな。勝手に上がっても構わない。鍵はいつでも開けとく』っ伝えてるが、まあ来ないよな」

「誰が行くかよそんな怪しいやつの家に」

「まあでも俺は音楽をやめるつもりはない。音楽だけが生きがいだ。音楽がなければ生きていけない」

「初めて未来の自分に共感したよ」

「結局お前は音楽をやめられない。30歳のお前も、40歳のお前も、50歳のお前も、結局は音楽から離れられなかった。仕事の苦しさや、私生活の悲しみは、すべてギターを掻き鳴らして忘れた。そうするしかなかった」

 男は40歳の自分に触られたとき、その指の腹がまだしっかりと硬かったことを思い出した。

「しかしたぶん俺は近い内に死ぬ。最近めっきり体の調子が悪くなった。医者にもでかい病院で診察を受けろと言われたが、金が無いから行けない。ギターを売れば診察代くらいになるだろうが、それはできない」

「ああ、できるわけがないな」

「お前は一生音楽に縛られて孤独に死んでいく。だったら最後まで音楽にしがみつけ。音楽がなくなればお前はもっと孤独に、もっと早くに死ぬはずだ」

「言われなくても続けるよ」

 男はギターを鳴らした。70歳の自分は消えた。

 夜も深まってきた。自分以外に客はいない。最後に一曲歌って帰ろうか、と思ったとき、目の前に小学生くらいの少年が現れた。

 自分とは似ても似つかない、線の細い気弱そうな少年だった。

「なんだ? 過去の俺か?」

 少年はギターを全身で支えるように持ちながら、困惑した顔で立っていた。よく見れば少年が持っているギターは男と同じギターだった。

「あの、えっと、ここは?」

「あ? なんだ?」

「このギターを鳴らしたら、なんか、気がついたら、ここにいて」

 少年は寒そうに震えていた。よく見れば靴を履かず、上着も着ていなかった。冬の夜だというのに。理由は分からないが、この少年も未来からやってきたのだろう。

「そのギターどうした?」

 男は気になって聞いた。

「えっと、あの、これは『妖怪ギタージジイ』の家にあったやつで」

「妖怪ギタージジイ」

「近所の有名なおじいさんで。ずっとギターばっかりい弾いてるから。そう呼ばれてます。下手くそだし」

「おうおう、言うじゃねえか」

 子どもだろうを容赦はしねえと腰を浮かせた男の前、少年は慌てて首を横に振った。

「でもかっこいいです。ギターが弾けるって。僕も弾けるようになりたいと思ってさっきギタージジイの家に行ったらいなくて。鍵が空いてたので入ったら、ギターが置いてありました」

「なるほど。そんでそのギターを鳴らしたら、急にこんなところに現れたと」

「はい」

「そのギターやるよ」

「え?」

「そのギター、やる。持ってけ」

「でもこれはギタージジイのギターで」

「ギタージジイの知り合いなんだ、俺」

「そうなんですか?」

「だからやる。持ってけ」

「あ、ありがとうございます」

 わけもわからず頭を下げる少年に、男はついでに自分が使っているピックをプレゼントした。紫地に白抜きの文字で「ノーギターノーライフ」と書かれている。カタカナなのがダサ面白くて買ったやつだ。

「それもやる。大事に使えよ」

 また頭を下げた少年に向かって男がギターを鳴らすと、彼はそのまま煙のように姿を消した。

 男は最後の曲を弾き終えたあと、商店街の角をあとにした。

 男は未来の自分が忠告した通りの人生を歩んだ。

「──すべての始まりは『妖怪ギタージジイ』の知り合いから、『妖怪ギタージジイ』のギターとピックを譲り受けたことです。そのギターもピックも今はもう使えませんが、ピックの方は少し加工してお守り代わりに肌身離さず持っています」

 世界的なギタリストは襟の内側からネックレス状にしたギターピックを引っ張り出し、インタビューアーに見せた。

 色褪せた紫地のピックには、かすれた白抜きの文字でこう書いてある。
 
「ノーギターノーライフ」

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