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ショートショート92-②:ブンリシコウ

「できたか?」

「プロットは出来た。原稿も三分の一くらいは」

 翌日の夕方。

 大学の講義を終えて自室に戻ってきた湯川が、ラップトップに向き合っていた僕に声を書けてきた。僕はキーボードを叩いてた指を止め、振り返る。首を捻ると凝り固まっていた関節が小気味よく音を立てた。

「どんな話になったんだ?」

 湯川は背負っていたハンドバッグをベッドの上に放り、自らも身を投げ出すように腰を下ろした。スプリングが軋む。

「ジャンルとしては恋愛」

「恋愛?」

 湯川は意外そうに眉を上げる。

「あらすじは可能な限りシンプルにしてみた」

「シンプルは大事なことだな」

「恋愛に奥手な理系の大学生がある女性のことを好きになる。その女の子のことは別の恋愛に積極的な文系の大学生も狙っている。理系学生はルックスやコミュニケーション力で文系学生に劣っている。だから理系学生は女性の趣味や興味のある話題から、彼女の行動を細かく観察して研究し、文系学生を出し抜こうとするんだ。独自のレポートにまとめてみたり、ノートに記録を残したりする」

「なるほどな。未知の現象や状態に対して問題を明確にし、データを集め、それを元に実験や行動を起こすというのは確かに理系的発想かもしれない」

「理系的な知識が少し必要になるけど、小学生が朝顔の観察をする程度の知識で十分だと考えてる」

「あとは……主人公が客観的に見るとかなり気持ち悪い人間だが、これはまあ、フィクションだから許容することにしよう。あらすじも悪くない。で、オチは?」

「彼女は当然人間だから数値化なんて出来ないから行動はどれも上手くいかないんだけど、彼女は主人公の熱心さに惚れて二人は結ばれるっていう」

「それは最悪だ」

 湯川は首を横に振る。長い前髪がパラパラと宙に躍った。

「最悪? そんなに?」

 いいか、と湯川は前置きして指を立てた。

「今回最も大事なのは『理系的発想』だ。『感情』や『偶然』といった部分は可能な限り排除しておきたい。今回のお前の作品の主人公は、雑な言い方をすればストーカーだ。そんな人間に惚れる女がいるか? それもお前は『熱心さに惚れる』と言ったな? つまり女は男の行動を把握していたワケだ。自分の行動を把握してデータ化までしているような人間の愛は重すぎるだろ。この小説はストーカーに追いかけられている女がなんでか知らないが
ストーカーと結ばれる話、でしかない」

「けど世の中にはそういう特殊な趣向を持った女の人も」

「いるかもしれないけど、いるかもしれないじゃダメなんだ。それは『偶然』だ。ご都合主義ってヤツだ。そんなのは理系的発想じゃない。あくまでこの物語は論理的に展開すべきだ。それならいっそ主人公の求愛がしつこすぎるあまり女の判断能力が鈍り、惚れてしまうという流れの方が現実感がある。物語の完成度としての善し悪しはさておきな」

「論理的な展開ねえ」

 僕は原稿からプロットのウィンドウへと視線を移し、悩む。理系的発想とは何か。自分に問いかけてみても答えは出ない。

     ◯


「できたか?」

「できた」

 二日後の夕方。大学の講義を終えて自室に戻ってきた湯川が、ノートPCに向き合っていた僕に声を書けてきた。

 この二日間僕は自室にこもりきりだった。もちろんその間も大学の講義はあったから、すべてサボったことになる。湯川が同じ授業を取っていたのならばよかったのだが、僕と湯川は授業どころか学部そのものが違うのでどうしようもなかった。

「読んでいいか?」

「もちろん」

 僕はメッセージアプリを使って湯川に原稿ファイルを送信した。

「ありがとう」

 と湯川は言って読み出す。読み終わるのに一〇分とかからなかった。

「なるほどな。こういうオチにしたわけか」

「そう。彼女の行動を計算していった結果、自分が彼女と結ばれる可能性が低いことに気がつき、行動するのを止めるっていう」

「まあワケもわからず二人がくっつくっていう最初の展開よりはいいと思う。感情ではなく数字に左右されるオチも理系的だしな。いいんじゃないか? これで」

「ただ一つだけ問題があるんだ」

「問題?」

 湯川は首を傾げた。

「文字数が多すぎるんだ。規定の一万字を三○○○字ほどオーバーしてる」

「簡単だよ。削れ」

「削る?」

「そうだ」

 湯川は画面を指差して言う。

「お前の文章は確かに技巧的で語彙も豊富だ。声に出して読みたくなる。だが裏を返せば余計な肉付けが多くて一分が長い。たとえばこの『彼女は砂漠に咲いたサボテンの花のように鮮やかで、美しく、その場にいるすべての男を魅了した』は『彼女はとても美しかった』でいいじゃないか」

「それは『砂漠』って言うのが女子率の少ない理系学部の現状を喩えてて、サボテンの花って言うのは少し外見が派手な彼女の内面的な」

「いらん」

 湯川は問答無用で切り捨てる。

「字数に余裕があるならそれでもいい。だがお前の作品は字数をオーバーしてしまっている。重要なのは美しい文章を書くことじゃない。条件に従って原稿を完成させることだ。いくら上手い文章で原稿を書いたところで、条件に従っていなければそれはただの数十キロバイトのデータでしかない」

「でも文章を変えたらそれだけで読み手の印象が」

「確かに読み手の印象は変わるだろう。だが物語が大きく変わる訳じゃない。美しさをサボテンの花にたとえようが、そのまま形容詞で『美しい』とだけ書こうが意味は変わらないからな。『感情』や『印象』といった曖昧模糊としたものは削り、事実だけを確実に書く。それが肝要だ。それに無駄な肉付けで長くなった文章より、シンプルで短い文章の方が読者に伝わりやすい。重要なのは原稿を完成させること。そして原稿に必要なのは上手い文章よりも破綻のない物語だ」

「けど」

「理系と文系の一番の違いは文章に出ると思う。文系の文章は一つの事象に複数の視点や価値観を見い出す。一方で理系は複数の事象を一つの法則にまとめる。たしかに女の美しさはサボテンの花にも薔薇の花にも百合の花にもたとえられようが、それは文系的な考え方だ。理系的に考えるならサボテンの花も薔薇の花も百合の花も全て『美しい』という一言で事足りる。むしろ花で喩えればその花を美しいと思わない人間がいる可能性もある。そう考えたときに万人が『美しい』と表現しておけばそこに読者の主観が入る余地はないから、明確に言いたいことを伝えることが出来る。だから文章はシンプルに書くべきなんだ」

 立て板に水のごとく発せられた湯川の言葉に僕はただただ圧倒される。反論は思い浮かばなかった。

「……分かったよ」

 僕は諦めて原稿に向かう。湯川の言うことはもっともらしい。それに文章にこだわるあまり原稿を完成させることができずに終わるというのは本末転倒だ

「比喩や慣用句を削れ。一文を短くしろ。とにかく文章をシンプルにしろ。誰が読んでも意味が伝わるように書くんだ」

 湯川は僕の肩に手を置いて言う。〆切は今日の二四時。まだ残り時間は六時間ほどある。三〇〇〇字を消すのはそう難しいことではない。

     ◯

「できたか?」

「どうにかね」

 翌朝。僕と湯川は学生寮を出て大学へ向かって歩いていた。

「〆切の五分前に原稿を完成させて、三分で投稿した」

「危なかったな」

「でも良い作品が書けたと思うよ」

 と僕は胸を張る。

「タイトルは結局どうしたんだ?」

 湯川が聞いてきた。

 僕が作品の中で最後まで悩んだのがタイトルだった。なかなか決めること
が出来ず、湯川は痺れを切らして先に布団へ入って寝てしまった。

「良い感じのが出来たよ」

 僕は言った。

「良い感じってなんだ?」

「あとで原稿送るからそれで確認して」

「回りくどいな」

 湯川はため息混じりに言い、口角を数ミリ持ち上げる。

「まあなにはともあれお疲れさま。受賞出来るといいな」

「あまり期待せずに待ってるよ」

「じゃあ俺はこっちだから」

「うん、じゃあまた」

 大学の正門が見えたところで僕たちは会話を切りあげ、二手に分かれる。僕は農学部のキャンパスがある方へ、湯川は文学部のキャンパスがある方へそれぞれ歩き出す。


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