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ショートショート40:持つべきものは

「またね、三宅くん」

「あ、うん。じゃあね」

 春野さんが可愛らしい薄紫の傘を広げて昇降口から出ていくのを、俺はただ見送るしかなかった。喉まで出かけた言葉は、ついに喉を越えることができなかった。

 降りしきる雨の中庭を、春野さんの小さな背中が次第に遠ざかっていく。今からでも遅くないとは思っても、思うだけで精一杯だった。

 ため息とともに傘を持たずに雨の中へ出ていく覚悟を決めたところで、親友の清宮が横に立った。

「傘忘れたん?」

「あ、ああ。雨降るなんて思ってなくて」

「貸そうか?」

「持ってきてんの?」

「まーね」

 親友は通学カバンの底から折り畳み傘を取り出した。

「こういうこともあろうかと常備してるのよ」

「さすが」

「ほら、使えよ」

 親友が差し出してきた傘をありがたく受け取りながら、しかし俺は彼がほかに傘を持っている様子がないことに気がついて言った。

「お前は? どうやって帰るの?」

「三宅に比べたら俺んち近いし。いいよ」

「悪いよ」

「いいっていいって。気にすんな。持つべきものは親友だろ」

「それは俺のセリフじゃね?」

 苦笑しながらも、清宮に甘えて傘を借りることにした。

「じゃ、またな三宅」

「おう。また明日」

 三宅は通学カバンを頭に乗せて、走って昇降口を出ていく。

 俺も借りた傘を開いてのんびりと帰路についた。

 しかし校門を出たところで、三宅が春野さんの傘に入って歩いているのを見つけてしまった。呼吸が止まりかけた。

 俺は気づかれないくらいの距離まで近づいて2人の会話に耳を澄ませた。

「清宮くん、折り畳み傘持ち歩いてるって言ってなかったっけ?」

「いやー、それが今日に限って忘れちゃって」

 清宮は平然とそう言い放つと、自然な流れで傘の持ち役を交代し、春野さんと2人で相合い傘をしながら帰っていく。


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