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物理学はかっこいい分野が決まっている
物理というとかっこいい分野が決まっている。小説やドラマ、映画に出てくる物理学者は大体、宇宙か素粒子、超伝導をやっている人々で、これからは量子コンピュータをやっている人々も加わっていくだろう。
どれだけ、素粒子分野において、理論が実験を追い越しすぎて行き詰まり、今から素粒子理論に進むと高確率で鬱になるから危険だという風潮になっても憧れを捨てきれずに進む天才は減らない。売れっ子声優を志している人と同じくらい、素粒子や量子コンピュータの領域を自らの手で発展させることを志している人は、自身の人生をハイリスクな夢に賭けているなと私は思う。それでもやはり物理にしかない高尚なカッコよさがあるということを、私も少し分かってしまう。
学部のとき、卒業研究発表前に、友達と私の家で発表練習をしようという話になった。コロナ禍の影響もあり、学科内での交流は限られていたため、他の人がどんな研究をしているのかほとんど知らなかったので、発表練習をする前に、まず、先日配られた学科の皆の卒論要旨を2人で読んでみることにした。当時、私は自分の研究があまりにもゴミだと思っていたので、自分の研究の発表をするのが恥ずかしいという気持ちでいっぱいだった。しかし、卒論要旨をパラパラと見ると、他の人たちの卒業研究も全然大したことないな(学部の最後一年のみで行った研究だから当たり前だけれども)と思ってしまい、そのことを友達の前で口に出してしまった。そうしたら、その友達は泣き出して、家に来たばかりなのに「今日は発表練習はしない」と言って帰ってしまった。私は追いかけて、「ごめんね」と繰り返しながら何がそんなに嫌だったのか聞いたけれど、ついに教えてくれることはなかった。
自分で何がダメだったのか考えろということだと思うので自分で考えた上での結論は、私は無意識で「実験よりも理論のほうが高尚でかっこいい」と思っていたのではないかということだ。もちろん意識的には実験と理論が互いに作用し合うことで研究は進んでいくと思っているのだけれど、当時の私は、理論研究者を志す天才肌の人間ばかりと交流があったので、その人々と比べて自分自身や自分の研究に劣等感を覚えていた。一方で、要旨をちょっと読んだだけでも分野外の私でもなんとなくやっていることが理解できる実験の研究を、理論研究よりは簡単だなーと見下していたのだと思う。だから卒論要旨を見て安心してしまい、その態度が実験研究をしていた友達を反対に不安にさせてしまったのだ。
私はこの件を結構反省した。反省したといっても、「理論の方が高尚でかっこいい」と思っていたこと自体を反省したわけではなく、そのことを無意識下で思っていたことを反省した。意識していれば、人を傷つけずに済んだはずなので。理論の方が高尚でかっこいいと思ってしまうのは、私の感情の部分なので否定しなくてもいい気がする。実際に、物理をやっている人は、自分自身にとって高尚でかっこいいと思える分野を心に抱いている確率が高いのではないか。それ故に、物理の人たちはあんなに物理が好きなのではないか。
先日、北大で開催された物理学会に初参加してきたが、今まで行った学会の中で一番活気があった。5000人が北大に集まって物理の話を永遠としていた。40ものセッションが並行で行われ、4日間続く。初日の朝、どの部屋からも人が溢れ廊下には首を伸ばして発表を聞いている人が大量にいた。みんなお祭りが始まったばかりだから元気なんだなーと思っていたけれど、結局最終日になっても部屋にある100席が全部埋まった上でさらに壁に沿って授業参観みたいに人が並んでいた。質問も多い。私が口頭発表した際も、一番後ろの列の人までもが質問してきた。案の定、一番後ろの列の人の質問は全く持って聞き取れなくて、私は愛想笑いで誤魔化した。物理の人は、皆、本当に物理が好きなんだなと思った。
発表を熱心に聞く姿勢もそうだけれど、発表以上に議論(あるいは物理に関するおしゃべり)がメインのようだった。北大内ではもちろん、札幌の街を歩いていても、すぐに物理学会の人は見分けがつく。なぜすぐに見分けがつくかというと物理の話を大声でしているからだ。
私は今回、自分の研究が物理とはあまり関係ないにも関わらず、ただ札幌に(タダで)行きたいという理由だけで北大開催の物理学会に参加することにした。札幌でのお目当ては、夜パフェ。机にプロジェクションマッピングが投影された中、2000円の美しい夜パフェを食べられる店に行ったら、遠くに座っていた3人組が大声でずっと物理の話をしていた。なぜ物理の人は物理の話をするときにあんなに声が大きくなるのか。せっかくの夜パフェを食べているときくらいは物理から解放されたかったのに。きっと、自分たちの高尚でかっこいいお話をみんなにも聞いてもらいたいのだろう。物理の人たちは自分たちの志すものを皆信じているように見える。そして、自分がその分野にいるということに自信を持っているから、おしゃれな夜パフェバーでも大声で物理の話ができるのだろう。
羨ましい限りである。
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