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センスの良い人間になるためには現状のどうしようもないつまらなさを肯定するしかない
今日嫌なことがあった。
私の好きな男が、私の嫌いな女のことを褒めていた。
「彼女が薦めてくるもの、小説とか音楽は100%の確率で本物だった」
ねえ、本当にいい加減にしてほしい。この後、なんか、私の機嫌を直すためのプレゼントでも用意していないと許せない。
私は反論しようとしたけれど、それは事実だったので、反論出来なかった。彼女が評価した数少ない音楽や小説は確かに本物ばかりだったから。その代わり、「彼女みたいなセンスが良い人間になることなんて結構簡単なんだよ」という論法で彼の発言をねじ伏せることにした。
センスが良い人間になるため一番大事なことは、つまらないものに対してつまらないとストレートな評価を下すことだ。
普通の人間は、つまらないと判断するための気力を少ししか持っていない。他人のいいところとか、物事のいいところを探す癖が身についている。できるだけ物事を面白いと捉えることがgoodなことだと自然に思っているのだ。
でも、本当はこの世のほとんどのことはつまらなくない?
そう"素直に"思っているのは私と彼女だけですか?
私は違うと思う、本当はみんな心のどこかでつまらないなって思いながら過ごしているのに、何かしらの方法で、その気持ちを抑えているのだ。
つまらないものを面白いものだと自分の中で誤魔化したり納得させるために、
頑張っていない人↓
仕事や恋愛など何かに依存して忙しいふりをすることで見て見ぬ振りをして現状のつまらなさを誤魔化す
頑張っていて頭が悪い人↓
金や時間をたくさんかけることで、かければかけるほどそのものの価値や面白さを証明した気になって納得する
洞察がないまま語彙力のみを増やすことで面白さを表現できた気になって納得する。(参考: https://note.com/casgiv/n/n2a186b546f75 )
頑張っていて頭が良い人↓
メタ認知による大きな枠組みや文脈で捉えることで納得する
例えば、三宅香帆の『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』という新書、目次を読んだだけでタイトル詐欺の駄作だと分かるのに、「なぜあんなに売れているのか」と言って考察し始めるのマジでやめろ。論理がほとんど破綻している上に結論も自己矛盾しまくり(※)だから批判することすら難しいのに真剣になるのやめろ。つまらない本はつまらないから読まない。それでいいじゃないか。真剣にアンチするのやめろ。なんで、"熱心な"アンチってちゃんと読まないと批判しちゃいけないとか思うんだろう。本当につまらない本はつまらない本だと確信した時点で読むのをやめればいいのに。
前者は本当にダメ、ダメというかそれで楽しくて幸せなら、私は多くの人間がずっと幸せでいて欲しいと心から思っているのでそれでいいと思うけれど、私の嫌いな女みたいにセンスの良い人間にはなれないと思う。後者は、まだ、物事を整理して考えるためのフレームワークを持っているということなので、何もないところから何かを創造したり理論を作る可能性があるので長所とも言えるが、センスを伸ばすことを考えると遠回りである。
私の嫌いな女は、つまらないと判断するための気力を普通の人の何十倍も持っている。私よりも持っている。
つまらないと思ったら、ただこれはつまらないなと思って無視をする以外にない。頑張って好きになろうとしたり、メタ思考や文脈化を頑張ることで興味深さを発見しようとする姿勢はセンスを磨く姿勢とは真逆だ。
もっともっともっともっともっともっともっともっと面白いものが見たい。
そう思うためには、現状に対するつまらなさを受け止めなければいけない。そう、つまらなさって、現段階の面白さに慣れて、もっと面白いものを希求する欲望なのだ。
だから、センスを伸ばそうと思ったら、この世のほとんどはつまらないよねというネガティブな人間に一度なればいい。そうしていたら自然に少しずつ本物だと思うものを判断できる人間になれると私は信じている。
三宅香帆だって、(自己)矛盾だらけの雑な文章しか書けず著作は駄作だが(もちろん私は読まなくても目次を読めばつまらないと分かるので読んでない)が、本のプロとして世の中に出ている本が良いものかどうか評価するセンスはかなりあるように私は思う。それはなぜかというと彼女自身が、「書評を書いていると、つくづく実感する。世の中に出ている大半の本(つーか小説)って、面白くないよなぁ、と……。まじで身も蓋もない実感なのだけど。でもやっぱり思う。小説や物語が面白いってこと自体ものすごいことで、大半の小説って実は面白くないんじゃないか!?」と素直に思える人間だからからではないだろうか。(参考: https://info.honzuki.jp/post-14592/?s=06 )
でもこれは普通にリスキーな話だ。
私自身は、毎日がつまらない。とにかくつまらない。他人もつまらないし、他人がつまらないのならば自分で面白さを生み出さないといけないのにそれもできないから自分もつまらない。つまり全てがつまらない。あまりのつまらなさに絶望して死のうかと思うときもある。私の嫌いなセンスの良い女だって、この世で生きていくことに絶望して、本当に死んでしまうんじゃないかというタイミングが何回もあった。
私は、好きな男に「あなたはメタ認知ばかりして、つまらなさを肯定することから逃げているから、彼女のことを本当に見習った方がいいよ」と皮肉を言ってあげた。
今日の彼の話も酷かった。先週の日曜日に家族でディズニーに行ったらしいけれど、「美女と野獣のアトラクション乗ったことある?あれ本当によかった。あれは映画をリアルに落とし込んだものなんだよ。空間が広い割にものが少なくて退屈だって言う人も多いけれど、回ったり上下に揺れることで、一つのものをいろんなカットから見るという映画のあり方そのものを表現していて、それって本来のディズニーが目指していたものなんだと思う。すごく面白かった」
と言っていたが、私は美女と野獣は乗ったことがあるけれど期待していたよりつまらなかったと思っているし、つまらないものを、映画的な構造があるから?面白いと無理に思おうとも思えない。
「あなた、そういうメタ的な思考を抜きにして、本当に美女と野獣の面白かったと思っているの?」
「いや、そういうの俺、分からなくなっちゃった。いつもそういうメタ的な視点でしか物事を見られなくなっちゃった。『クリスマスってキラキラしているから好き』とか言えるあなたが羨ましい」
「そのメタ認知癖、あなたの真面目で頭のいいところなのかもしれないけれど、さすがにやりすぎだからやめた方がいいよ。目次でtrashだって分かる本を"この本は本当にtrashです、インフルエンサーがアカデミアや文芸評論家の持つ権威にフリーライドするな"って批判するためだけに、マーカーしながら全部読むのやめなよ。最悪」
※ :もちろん私は一冊も彼女の本は読んでいないので、ネットの海上でアンチをするための情報量が足りてない自負はある。しかし、好きな男がいろんな情報を教えてくれるのでその分の知識はある。引用した記事は全部彼が教えてくれたものだ。新書内では、自己矛盾と論理の飛躍が数えきれないほどあるらしいが、誰も興味ないと思うし私も興味ないので省略する。
追記:読み違える人が多いので。私が以下の記事のような経験をしたことを踏まえてこの文章を書いているということを念頭に置くと分かりやすいと思います。
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