
『日々是好日』だけど、渦中にいるときはわからない
少し前に、森下典子さんの『日々是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』を読みました。
森下典子さんが20代から続けてきた茶道の経験をもとに書いたエッセイ。
大学生の時、母の勧めでお茶を始めた森下さん。型や所作を真似るだけの稽古に疑問を抱きつつ、師匠の稽古場に通い続けます。
やがてお湯を汲む音と水を汲む音の違いに気づく。ザーッと降り注ぐ雨音の深遠な意味に震える。
感性が研ぎすまされ、四季の移ろいに全身が開かれていく瞬間が鮮やかに描かれています。
「日々是好日(にちにちこれこうじつ)」=どんな日にも意味がある
というには単純すぎるこの世界や人生の豊かさ、奥深さ。茶道を通して何十年もかけてそれが著者に染みこんでいく過程を、いっしょに味わうことができる贅沢な本です。
映画版が 2018年 に公開されており、続けてアマゾンプライムで視聴。
主演の森下さん役は 黒木華さん、師匠が 樹木希林さん、一緒にお茶を習ういとこ役に多部未華子さん(大森立嗣監督)。原作に忠実なストーリーと、しっとりとした画作りはすばらしく、もっと早くみればよかったなぁと後悔…。
そして、この映画のメイキングエッセイとも言えるのが
『青嵐(せいらん)の庭にすわる「日々是好日」物語』。
映画化までの経緯や、森下さん自らが茶道の監修者になって撮影に立ち会った日々が、繊細なまなざしで綴られています。
興味深いのは、黒木華さんや多部未華子さん、樹木希林さんが茶道の所作を習得する過程。優れた俳優たちは空間認知能力が高いので、ふつうの人の何倍も早く再現できるそうです。
また、四季折々の植物に彩られた茶室の雰囲気を、限られた撮影期間でどのように作り込むのか? 美術スタッフや花屋さん、大道具さんなどの活躍にも驚くばかり。
樹木希林さんは、この映画が遺作のひとつ(泣)。公開時、それも話題を引っ張り、大ヒットとなる。もしかしたら彼女はそこまで逆算してたかも…と思われるほど見事なタイミングでこの難しい役を引き受け、旅立たれたことも綴られています。
主要なロケ地となったお稽古場(茶室)は、樹木さんが親族の家を丸ごと提供したそう。よい作品にするために、ここまで尽力する人間力にも圧倒されます。
以前、ドラマ『セクシー田中さん』事件で、悲劇的に粗雑で原作へのリスペクト皆無の映像制作も存在することを知らされました。でもそれとは対局の、誠実で丁寧な作品づくりが映画制作の現場に、ちゃんと息づいていることにもなんだかホッとさせられる。
『青嵐の庭にすわる「日々是好日」物語』は、映画の公開から1年半も経ってから書くことを決めたそうです。森下さんさんは「月日がたって初めて物語になるものがある」といいます。
人生と同じだ。渦中にある時は、自分がどこにいるかもわからない。けれど、年月が過ぎて距離ができると、その道のりのどのあたりで起こり、どんなできごとだったのか、やっとその姿がみえてくる。
渦中のことは思いつきを書き流す「モーニングページ」や、気まぐれに発信するXに垂れ流す習慣がついた。
それらをもう一度ふりかえってブログやnoteに組み立て直すと、新しい時間や人生の意味が生まれてくる感じがしますよね。
時間は過去から現在だけでなく、未来から過去にも流れているっていう説があるけど、確かになぁって思います。
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森下典子(もりした・のりこ)さんについて
1956年、神奈川県生まれ。日本女子大学文学部国文学科卒。大学時代から「週刊朝日」連載の人気コラム「 デキゴトロジー」の取材記者として活躍。その体験をまとめた『典奴どすえ』を30年に出版後、ルポライター、エッセイストとして活躍を続ける。
2018年、ロングセラー『日日是好日 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』(飛鳥新社/新潮文庫)が映画化される。
その後、続編『好日日記 季節のように生きる』『好日絵巻 季節のめぐり、茶室のいろどり』(ともにPARCO出版)を出版。
他に、『いとしいたべもの』『こいしいたべもの』(ともに文春文庫)『前世への冒険 ルネサンスの天才彫刻家を追って』(光文社・知恵の森文庫)『猫といっしょにいるだけで』(新潮文庫)などの著書がある。