嫌いなことを頑張るモチベーションについて

 昨日、ようやく卒業論文(以下、卒論)を学校に提出した。卒研審査会に向けての資料は作らないといけないけど、とりあえず一段落。卒論の研究計画書を書き始めてほぼ一年、この苦しみや辛さから解放されると考えると非常に嬉しく感じる。

 正直、卒論が本当に嫌いだった。データを探すことも、分析結果を出すことも、仮説を立てるのも、その仮説を導くための理論を探すのも。本当に嫌いだった。苦手とかではなくて嫌いだった。そもそも、卒論をやるのが苦痛だった。

 結果がどうなるのかがわからないような、長期的なことを行うのが昔から苦手だった。大学受験は勉強すればするほど模擬試験の成績が上がっていたからやる意義も見いだせたし、そもそも勉強自体が好きだったから苦には感じなかった。クイズもやればやるだけ押せるようになったし、雑学的な知識は好きだったから座学もやっていた。正直、好きなこと、得意なことはいくらでも頑張れる。だから、6時間クイズの座学を行うのは全然楽だし、苦痛に感じなかった。(むしろ楽しかった)
 一方で、卒業論文は本当に嫌いだった。やることが多すぎてどこから着手すれば良いのかわからなかったし、教授にこういう計画で進めていきますと自分なりに考えて進捗報告しても、いや違うよと言われてまたやり直しということもざらにあった。仮提出1ヶ月前になってもデータが定まらなくて迷走していたときは本当にやりたくなかった、見たくなかったレベルだった。だから、卒業論文を提出してようやく重い肩の荷が下りたと感じている。(まだ審査会はあるが、先輩に聞いた限り多分大丈夫だと言っていたので大丈夫だろう)

 私のゼミには卒研とは別に、自分で研究して学会で発表する人もいるが、正直、私にはこのモチベーションはなかった。いや、配属された当時は怖いもの知らずだったので、学会に興味があった。ただ、これはタイミングの問題であるが、私がゼミに配属された直後に、所属しているクイズサークルが本格始動したので、サークル運営の方に注力せざるを得ない状況になってしまったのだ(両立できそうと思う人もいるかもしれないが、サークルは今まで事実上の休部状態であり、私が会長の時に本格的に再始動させたので本当に0から全てをやらないといけない状態だった)。そうこうしているうちに学会に出るタイミングを逃してしまい、結果的に研究をやる機会が無くなってしまった。もし、このタイミングで学会に参加していたら、そこで研究をやることに苦痛を感じることがなかったのかもしれない。

 話が脱線したが、学会で発表する人は大体自分から好んで学会で発表している。別にこの考え方を否定しないが、私はこの考え方を理解できなかった。研究に対するアレルギーがある人からすると、研究を好んでやる人の考え方がわからなかった。研究を楽しんでやっている人は研究そのものが楽しいと思っているのだろう。しかし、残念ながら私には研究に対するモチベーションもクソもなかった。だから、同じグループのメンバーが最後だし頑張ろうよと言っても私のライフは完全に0だったので、やるのが本当に大変だった。(ただ、やらないと卒業できないので結局無いなりにやったけど)

嫌いなことに対するモチベーションを起こす方法

 と、まあ、こんな感じにモチベーションがない中でも頑張って卒論を頑張ったけど、社会人になるにあたって今後嫌いなことに立ち向かわなければならないのだろう。そこで、卒論を通して嫌いなことに対してどうモチベーションを起こせば良いのかを考えていこうと思う。

1. 小目標を立てる

 卒論はやっぱりやるべきことが多いが、それを一気に全部やることははっきり言って不可能である。そのため、現時点で何をやるべきなのかを逆算して計画することが大切だなぁと思った。一個一個の細かい目標を設定することで、結果として、卒論に対するハードルを下げることにもつながった。
 大目標は嫌でも小目標となれば、流石に卒論が嫌いな私でもハードルが下がったように感じた。例えば、とりあえずデータを5件集めることを目標にしたら、意外と5件集めるのは苦ではないし、仮にその日は5件だけ集めて終わったとしても、卒論をやったという自己満足感は残るのでやらなかったことに対する罪悪感は残らない。だから、今日やるべきことを細かく設定して今日やるべきことのハードルをとにかく下げることを優先した。

2. 誰かと一緒にやる

 まあ、正直なぜ卒論が終わったのかと言われると、私が、誰かと一緒にやる環境にいたからである。幸いなことに、私のゼミは、研究こそ各個人で行うが、毎回毎回グループもしくは教授に進捗報告を行うことになっていたので、否が応でも自分の進捗報告をグループのメンバーもしくは教授に知られることになった。それで、私の卒論がやばいと思われて、メンバーがああだこうだ言いながらアドバイスをくれたり、中には一緒に卒論を執筆したりした。(流石に、別の人に自分の卒論をやってもらうということはしなかった笑)
 流石に、これだけ下駄を履かせてもらったので、私もやらないわけにはいかず、卒論に取り組んでいた(そういう意味では、同期には本当に助かりました、ありがとうございます)。正直、それなりにプレッシャーがかかった状態だったので、全くやらないという日は作らなかった(というより、作れなかった)。

3. 火事場の馬鹿力

 本当は良くないけれど、やっぱり火事場の馬鹿力ってあるのだなぁって思った。残り3週間前で分析結果を出していなかったことあり、とんでもなく追い込まれて、ギアを上げざるを得ない状況になった。「間に合わせなければならない」「絶対に遅刻はしない」という追い込まれた状況で、とにかく卒論を完成させようとしたら、自然とやらないというわけにはいかなかった。正直、卒論の内容の最後4割はラスト1ヶ月の火事場の馬鹿力で完成させたようなものである。

4. ある程度の息抜き

 とはいえ、卒論ばかりやって病んでしまっては元も子もないので、自分の趣味の時間もしっかり作っていた。どんなに忙しいときでも、サークルにはしっかり顔を出していたし、サッカーも見に行ってた。クイズの勉強も程々にはやっていたし、それなりに作問もしていた(これに関しては、大会および文化祭があったからでもあるが)。卒論ばっかりやっていても行き詰まってしまうので、なるべく息抜きの時間も使っていた。

最後に

 と、ここまでダラダラと私の考えを書いてきたけれど、本当は好きなこと・嫌いなこと関係なくちゃんと計画を立てて余裕を持ってやらないといけないと思う。実際、私は、卒論の提出期限が迫ってくると本当に吐きそうだったし気持ちも落ち込んでいた。これを読んでいる人は、私の事例を参考にしながら、是非とも卒論や課題に取り組んでほしいと思う。

 拙い文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?