○ギャップ
Threadsで『女の園の星』のオススメ文を書いていた時に、ふと先日言われた言葉を思い出した。彼は中学生の頃からの旧知の仲で、特に高校以降はずっと親友。
むしろ感覚的には親族に近い存在である。
そんな彼に、私のことを形容した時に「陽キャ」というワードが出てきた。
ふむ、と高校時代を思い出してみる。
高2の文化祭ではお化け屋敷をクラスでやって、部活の出し物では部員の皆とチュロスを売った。
体育祭ではクラスTシャツにコメントを大量に書いてもらって真っ黒になっていた。
応援団をやって当日皆とダンスしたり、クラス対抗の大縄ではクラス優勝を狙って皆で放課後に近くの公園で練習した。
公園と言えば、クラスのみんなと学校の近くで夏休みに遊んだ時に、公園で水鉄砲したり花火したりしたっけ。
部活は男子ハンドボール部のマネージャーで、後から知った話だけれど、そんな私を羨ましいと思っている女の子がいたらしい。
パッと出てきた「陽キャ」っぽい思い出を書き連ねてみても、中々謳歌している。
自分で書いていても、うわ〜青春〜って思う。
けれど当時は、とにかく毎日必死だった。
周りの目を気にしたり、友達の輪から離れないようにしたり、とても窮屈だった。
今話題になっている、SNSの悪口。悪口はとくに覚えていないけれど、SNSを見れば大体みんなの恋愛事情は把握出来た。
SNSは学校の人間に関する情報を得るためのツールでしかなかった。
当時はその情報がとても貴重だと思っていた。
周りの人から見ると、多分私は陽キャの分類なんだなと思う。私自身も、明るい方ではあるのだと思っている。けれどそれでも悩みはあるし苦しい時はある。
つくづく自分が見えている世界は一面でしかないのだと気付かされる。
特にSNSが発展してきた中で、魅せたい自分の切り取りが容易になってしまった。あるいは魅せたいキャラクターを作りやすくなってしまった。
それを仕事にできてしまう世の中になった。
今までは自分の半径単位の距離にしか伝えられなかったものが、ぐるっと地球一周分の距離に届けることが出来るようになった。
きっと、それをイマイチ理解できていない人が世の中には多い。目まぐるしく発展していってしまったからこそ生じる「置いてけぼり」感。
過去を振り返ってみても、自分が見ている世界と周りの目で見る私には大きなギャップがある。
そしてSNSから感じ取れる、少しだけ華やかで充実感を漂わせた私と泥臭くて時に怠惰な私にもギャップがある。
多分それは私だけではない。隣りに座るあの人も、憧れのあの子も皆同じ。けれど、その当たり前に気付けていないだけ。
過去を懐かしみ羨むことも、SNSを見て他者を羨むも結構。
けれど結局大切なのは
「今」を生きる私なのだと。
ふとそんな事を思った昨夜。