「珍しきは花」となれますよう
桃山時代、太閤秀吉のもとに千利休の草庵、茶室の庭一面に朝顔が美しく咲き誇っているという噂が届く。秀吉は早急利休のもとを訪れたいと思い、朝の茶会におもむく。しかしいざ秀吉が利休の家に着くと、目当ての朝顔は引き抜かれて一輪もない。不機嫌な秀吉が茶室に入ると鮮やかに一輪朝顔が床に活けてあった。秀吉はその美しさに感嘆した。(茶話指月集)に書かれている。期待に応え実現するのではなく、ひとつ上の次元に上げた上でその期待に答えたと言える。ただ美しいのではなく、こころから感動に向かわせる為に工夫し考案したと言える。
先日、能楽26世金剛流の御宗家に徳川美術館でお話をきかせいただいた。印象深く感じたのは「継承だけでは藝は細る。藝は創造がなければ、つなぐことはできないだろう」とおっしゃった言葉である。
この創造というものは、社会と密接なものであり、今を生きている私であり、それと対極に、藝は、これまで多くの先人が遺した蓄積である。この対極が、一体になることで今を生きていく藝術となるのである。
藝は藝。創造は創造。それぞれが分担されているのでは芸術とは言えない。人は、誰も身体内にこの二つを必要としている。生まれてすぐに藝は、見様見真似で始まる。やがて、学校や社会という集団の中で、自分の覚えてきた藝を微調整し、又は時には、捨てる選択になる。
ここで、これまでの日常に身につけた藝は社会と結ばれ、更に創造と絡みあうことになる。
藝と創造を意識するとき、幼い時のことを思いだすのがいい。そこにはぬくもりがあり、それが藝の種になる。
もう一つ
藝と創造は、私の中にある先住民と新しい勢力という、面白い図式を想像できる。私達の持つ民族性を身体の先住民と考えて、新たなものをどのように受け入れるか。先人は、この二つの境をぼかしまぎらせながら、新たなものに対する、求新が生まれている。
さて、二つの境をぼかすということ、それは、日本独自の美の手法となっていった。この手法は、何から生まれたのでしょう、それは、私達の日々に見る時の流れを知る、明け方の空や夕暮れの空、夜が暮れてゆくまでの時間、いずれもほんのひとときにおこる自然現象を表現していったのである。
創造には、瞬間と時間とを織り成す心があり、先輩先人から、何が美しいかを徹底的に伝えられ受け継ぐのである。
ぼかしというのは、見方をかえれば、芽吹きのようなものである。多くの芽吹きがあり、そこから生きのこるものは、ごくわずか、全くのこらないこともある。しかし、それでも次々に芽吹かせていく。
対極するものの間にさまざまな種類のぼかしが芽吹いていくことは、対極が全体の美しさを際立てていることに気づく。逆からいえば、対局は、ぼかしにより際立ち、三位一体となることもできる。
先人は、芸を伝える時、人の生き方と三位一体のことを教えた。曖昧とは違い、生かしていくことを、この手法で例えて教える。滲む、ぼかすは、その時零れる感情のよううにも感じられる。こういった情緒が新しい創造に向かわせている。
人の日々にある、思いがけないことを自然のなかのひとこまに見いだして、心を奮い立たせたり、何かのおとづれに考える。
山の端から雁が飛び、月が雲間から顔を出し、篠がつくような雨が降ったり、と、珍しいことも面白く紛らせて、美しく眺めていく。私たちは移ろいという現象を、情緒的な感覚でみていて、そこには、時間を深い層においていることがわかる。
ロダンが花子にモデルをさせ、歌舞伎の断末魔の表現を彫刻に遺した。花子は歌舞伎劇の一団としてパリ万博で上演し、大変な話題となった女性である。ロダンの作品には、花子の演技がうつされているが、情緒的な美しさは、私には感じられなかった。
女性の入っていくことができる世界は優美です。優美化されたところから、すっきりとしたものや酒脱、わびという感覚が生み出される。
女性の身体と心を深く考えることはまだまだ奥深く、表現者の役割は大きなものだと思う。