優等生でいられなかった
こんにちは。
双極、パニック持ちの優彩です。
私は世間のカテゴリーに当てはめると真面目です。
心知れた友人には抜けてるキャラ(この一面も本当です)で過ごしているので、真面目なんて硬いイメージはないと言われます。
しかし、ほとんど話したことのない同級生には真面目の象徴みたいな言われ方をします。
おそらくこのイメージは私の活動してきた実績にあると思います。
中高時代には、部活の学年代表、生徒会、有志の活動を5つ掛け持ちしていました。(時期は多少ズレています。)
学校代表して、雑誌のインタビューに載ったこともあります。
もちろん勉強も頑張っていて、定期テストはほぼ90点代、習熟度分けで1番上はマスト、評定平均は成績の落ちてきた高1で4.6ありました。
傍から見たら、優等生だったと思います。
過去の栄光を自慢気に語ってしまいごめんなさい…
でも、実は小学生の時は勉強も苦手だったし、目立たない存在でした。
周りと比べて背だけは高かったけど笑
だからこそ、中学に入り、勉強も活動も頑張れてる自分が好きだった。
優等生の自分に価値を見出していました。
優等生でいることは、誰から求められた訳ではなく、自分が1番求めていました。
高2の秋、文化祭を境に、沢山してた活動の引退がやってきました。
引退と同時に体調を悪化させ、精神科にかかることになりました。(その時の様子は「病院に行くこととなった日」に書いてあります。)
燃え尽き症候群も少しあったのかな。
今まで、見て見ぬふりをしてた心が悲鳴をあげ、コップに入ったギリギリの水が決壊した感じになりました。
すごく命を掛けてきた定期テストを休まざる負えなかったのもこの時期です。
(今でこそ、テストを受けなくても赤点でもどうにかなることを知りました。でも、それまでは定期テストでいい点数をとることがアイデンティティでした。)
双極の鬱も激しく、好きだった勉強も出来ない、テストに行くことすらできない、そもそも何もできない。(だいぶ長く続きました、しんどかった…泣)
こんな自分が嫌で嫌で仕方なかった。
私は優等生で居たかったんです。
優等生である自分に価値があったから。
周りからも真面目でしっかりしてて、頑張り屋さんって思われたかったんです。
でも、病気を境に優等生とはお別れになりました。
その時、恩人が掛けてくれた言葉があります。
(正直、その辺の記憶は曖昧で覚えてなかったけど、メールのスクショに入ってました)
「優彩がそうやって葛藤してることも、優彩が自分に1番苛立ってることも優彩のことを知ってる人はみんな分かってるよ。だから、みんな今は休めばいいよ、絶対しんどいじゃん、めっちゃ頑張ろうとして、今頑張んなよって思ってるよ。
優彩は今やれること、ぜんぶやってるよ。えらいよって。でもちょっとくらい手抜きを覚えなよ。サボりなよ。人生調子がいい時ですら、自分の理想の60%を目指すくらいじゃないと、やってられないよって。」
また添付のファイルには、「ある兵士の祈り」が付いてました。
これは神様は自分の求めたものとは一見違う(逆)ものを与えるけど、長期的に見たら願いはすべて叶えられるという詩です。
私は優等生でいることを求め続けました。
しかし、病気でいることを賜りました。
恩人は、優等生でいることが大切ではないこと、それ以上に大切なことがあることを伝えたかったようです。
これでもなお、頑固な私は、優等生でいたいと思ってしまいます。
完璧でありたいし、すべてにおいて妥協したくありません。
でも、これは自分の心身をいじめている行為と同義で。
病気になったことで優等生は失ったけど、それ以上に大切なことを学べた。
この経験は必要だったんだ、とようやく思えるようになりました。
心身を大切に(難しいけど)、なりたい自分を叶えられるように、1日をゆっくり着実に歩んでいきたいです。