【『自分を生きてない』わたしの快進撃】① 清水の舞台から飛び降り編
コロナ休校が始まったころ ふと湧き上がってきた言葉、『自分を生きてない』
コロナ休校。
あの頃からもう四年ほど経つのか~としみじみしてしまう。
同時に『はじまりやった…』といろんな出来事を反芻する。
当時二人の子どもは小学生。
わたしはパート勤務の保育士をしていた。
その保育園では正社員スタッフのみ出勤となり、パート職員はリモートワークということに。
保育士のリモートワークって何するん…と戸惑いつつも、無収入にならないことに心の平穏を保てたことがとても有難かった。。
連日の感染者ニュース、学校からの近況メール、近所の人やママ友との不安だらけの会話、毎日家にいることしかできない家族との時間、様相が一変したスーパーの店内やすれ違う人のマスク・マスク…
そんな頃のある日、ゴミ捨てに行った時にふっと湧き上がってきたのだ。
『自分を生きてない』と。
最初はその言葉というか感覚に怖さを感じて、いろんな理由をつけてごまかそう、やり過ごそうとした。
でもごまかしがきない大きさでわたしの身体ごとで押し寄せてくる。
わたしの人生そのものがそろそろ叫んできた。という感覚。
コロナ給付金が背中を押す
その頃なんとなく読んでいたメルマガで募集していた、オンライン子育て講座をコロナ給付金で受講。
自分だけのためにせっかくの給付金を使うなんて…と夫に伝えるのもザワザワしたのを覚えている。
その講座からの交友関係や、新たな世界への視野が生まれ、ノート術、手帳術、アロマ講座、占いセッション…
思いつくままに受講し、セッションを受けまくった。
罪悪感を遥かに上回る好奇心と探求心だった。
『自分を生きてない』ってなに?をコツコツと模索していく日々。
今回はその一番最初の糸口となる、決定的決断を綴ってみようと思います!
わけ分からないまま踏み込んだ一歩
4年前。
当時わたしのスマホ画面上にはSNSアプリがほぼ皆無。
日々使うのはLINEと、ほぼ学校と職場専用のメール、電話、検索するためのグーグル。
この4つのアイコンがあれば事足りる生活。
初めてのオンライン講座で緊張しながら、「趣味は読書です。」と自己紹介したのを覚えている。本当にそれしか思い浮かばなかった。
その読書すらも趣味といえるほどなのか分からなかった。
自分の現在地は『自分を生きる』からは程遠く離れてるであろうことを
認識するのが、なんだかすごく怖かった。
人と違うこと。
人からどう思われるのか。
本当の自分は人と違ってることが怖くて。
罪悪感やら無価値感やらの沼で吐きそうになる気がする。
すぐそこまでヘドロの土砂が迫ってきていて、臭いもしてるのに、知らないふりをしているような。
自分の今ある幸せがあっさり別物になりそうな気がした。
自分から湧き出た感覚は、どこを検索しても本を読んでも正解があるように思えなくて、手探りで見つけた一つの行動が、“講座を受講してみる”だった。
自己紹介の最後、
どうしてこの講座を受けようと思ったのですか?
という質問に
「とにかく均衡を崩すのが怖いんです。ただ自分を生きてない気がして…。」
そう言い終わった時には声を震わせ、涙を必死に堪えていたわたし。
漠然として抽象的な、そんな気持ちを自分でも全く言語化できずだった。
夫の鬱と洗顔講座
講座を受け、リアルの他にも世界があることを知って半年ほどした頃、
以前から役職が変わり、新しい上司と合わなくて悩んでいた夫が
ある朝パジャマから着替えられなくなった。
「ごめん。
おれ、会社行かれへんわ…」
夫も同じ関西出身でお笑い大好きなわたしたち。
わたしの天然ボケを「伝説やわ~」と笑い飛ばしてくれたり、
何気ない会話も笑いベースで楽しもうとする人。
そんな夫の仕事はサラリーマンで営業職。誇りをもってバリバリこなしつつ、だいたいのことは笑い飛ばしてやってきていた。
少し前からなんだか笑顔がなくなって、ひどく疲れている様子だったが、
話を聞くことと、見守るしかなかった。
まさか…というのが本音だった。
その日は『洗顔講座』
なんとオンラインでみんなで洗顔しましょう~という、それだけの講座。
朝、パジャマから着替えられずひたすらベッドで眠る夫がいる家で、
午後わたしはのんきに洗顔講座。
でも内心のんきではない、ほんとは心ズキズキしながらの洗顔講座だった。
その頃は少しずつパート出勤も再開し、午前中は保育士のパートに行っていたが、夫は仕事を休む毎日が続いた。
少しでも明るい家庭でいたいと思った。
“わたしはわたしや。どうしたら楽しく過ごせるんやろう。”
楽しそうな何かを見つけたなら、かたっぱしから食らいついていた。
洗顔講座もそんな気持ちで、必死に受けたのだった。
今日を過ぎたら共倒れ
2週間程経ったある日、もう耐えられなくなった。
仕事の行き帰りの自転車で毎日涙が止まらない。帰りは河川敷で泣き止むまで座り込む。
顔は笑顔を作れても、心が何かを叫んでいた。
「どうしたらいいん…?
わたしがなんとかせなあかんのに。
なんか、この家に帰りたくない。
こんなん、共倒れやん。
今しかない。今日を過ぎたらわたしもわたしでなくなってるかもしれん…」
心が重くて、涙が止まらんくて、
家に着いても引き戻ってフラフラしてる。
プツンと何かが切れる一歩手前ちゃうんかな…って、
切羽詰まった状況な気がした。
嘘なく生きると決めた
わたしが一番怖いことは、
夫の笑顔が無くなることやと、もう充分分かった。
だけどそれがゆえに家では夫のため、子どもたちも不安にさせないため、わたしだけは笑顔でいて太陽にならねばと、楽しむ何かをどうにかこうにか探しては切り抜けていた。
「夫が一番苦しいんやから、わたしが泣き顔を見せたらあかん!
夫が余計に悲しむやん。
そしたら今よりもっと家の中が暗くなる。
わたしだけは太陽でおらなあかんねん…!」
それが正解だと思い込むことで自分を支えていたけれど。
崖っぷちに立って、やっとそんな自分を嘘やと認めた。
大人の対応、相手への慮り…そんな優しい配慮で包むことで、どこからか嘘になってるやんと思った。
“わたしな、本当は、どうしたいん?”
均衡を崩すのが怖かったけど、怖いことも忘れて必死に自分の本当を探ってみた。
「泣きたい。
ほんまはわたし、思いっきり泣きたい…!!」
ストンと腑に落ちた時、ホッとしたけどまた怖くなった。
必死にやってきたことと真逆やん…でも…
よし、今まで守ってきたことやめる。
噓なく生きるで…!!
泣きたい時は泣くんや。
どうなるかわかれへんで。
わたしが泣くことで、夫が申し訳なく感じてもっと悪化するかもしれん。
家の中が暗くなるかもしれん。
本当に、本当に、
清水の舞台から飛び降りるくらいの覚悟で…
腹くくるで、わたし。
河川敷で静かにそう決めて、家に帰った。
もうすでに泣きはらした目。いつもやったら隠すためにあくびしてみたり、すぐに買い物にまた出かけたりしてたけど、そのまんま見せる。
夫も子どもたちもびっくりして
「お母さん?!え…どないしたん?」
その途端、涙噴き出す!!
もう噴き出してくるのを我慢せんと泣いた。
涙も鼻水も隠さんと泣いて、
「これからわたしは泣きます!!
そりゃー泣くよ!!お父さん、こんなん、かわいそうやねんもん!!うわぁぁーーーーー!!」
あまりちゃんと覚えてないけど、みんな唖然としてたんちゃうかな。
次の瞬間、夫が複雑な顔をした後、一緒に泣いてた。
子どもたちの前で、夫婦して泣いて、しんみりしたら、そんな自分たちに笑った。
奇跡の即日笑還
思い切って飛び降りたら、最悪の事態にはならんかった。
泣きはらした顔で薄暗い夕焼けの色の窓をぼーっと見ながら、いつも通り夕ご飯を作り始めた。
そしたら夫がご飯やで~ってまだ呼んでないのにリビングに来て、
テーブルに座って、冗談言ってくすっと笑った。
久しぶりの、当たり前にあった普通のしょーもない会話。
それは、その瞬間のことは決して忘れへんと思う。
薄暗い部屋がキラキラしてて、「うそやろ…」って思った。
「飛び降りて、ほんまに良かった….。なんかなんでかわからん、でもほんまに神様ありがとう。」って。
『自分を生きる』出発
『自分を生きてない』をふと感じてから、
夫の鬱を経験して、
『嘘なく生きる』ことを決めた。
相手への思いやりとして…
当たり障りのないように…
全部まで言わんでも…
それは気を遣わせてしまうやろ…
その時々の大人らしい配慮や慮りによって伏せてきた本音。
夫が鬱になって崖っぷちになったからこそ
飛び降りれたわたしの清水寺。
その先は谷底ではなかった。
その先にあったのは、“唯一無二なわたしであること”やった。
崖の底で傷だらけになるどころか
『自分を生きてない』からの、わたしだけの出口を一つ見つける決断になったのだった。
それからの展開も、また綴っていきたいと思います。
長い長いnoteとなりましたが、もしも最後まで読んでくださった方がいらっしゃったとしたら、
その光景を思い描くだけで、勝手に描いてるだけで、
ささやかな主婦の心は、ドカンドカンと花火が上がるようです。
ありがとうございました。