この国に生まれて、よかった
┃我欲覇権主義国家、アメリカの野望
80年前の日米戦争は、我欲覇権主義のアメリカが
太平洋の島々を侵略していき、次なる野望は中国侵略だった。その前に邪魔だったのが日本列島。
この日本を殲滅&侵略する計画「オレンジ計画」は
1897年から練られてきました。
当時の日本に、攻撃される理由はなく、非は全くありませんでした。いえ、寧ろ親米だったのです。
日本人は、アメリカが大好きでした。
それにも関わらず、アメリカの覇権の欲望には際限がありませんでした。
坦々と日本侵略計画を進めていた。
それは当時のセオドア・ルーズベルトがマハンに宛てた手紙からも明白です。
そのようにして日本を攻撃したアメリカは、戦後も
オレンジ計画に副って今尚、占領軍が日本を占領し
日本から搾取し続けています。
┃愛情主義・日本
我が国の天皇陛下は、それとは対照的でした。
終戦後、昭和天皇は
家族を戦争で亡くし、飢えなどに苦しむ国民を憂え
敗戦の責任を痛感されました。そして
当時の田島道治宮内府長官に謝罪の意を表されました。
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(口語訳)
「即位以来20年、代々の天皇と国民に背くことのないよう日夜勉めてきたが、時の流れを変えることができず、善隣との友好を失い、列強と戦い、
遂に悲痛なる敗戦に終わり、今日の如き甚しき惨禍を招くに至った。
屍を戦場に曝し、また職場で命を落とした人々は数えようもなく、
死者とその家族に思いを致すとき、真に心痛の思いを禁じ得ない。
また戦傷を負い、戦災を被り、あるいは異国の地に抑留された人達や外地で財産を失った人々も数え切れない。
その上一般産業の不振、諸物価の高騰、衣食住の窮迫などによる数えきれないほど多くの人々の塗炭の苦しみは、
まさに国家未曾有の災というべきである。
静かにこれを考えるとき、心配の炎は身を灼(や)くようである。
朕の不徳を深く天下に愧(は)じる。
身は皇居内にあっても心は安からず、国民のことを思うとき、
その負荷の重さに途方にくれるばかりである。
しかしながら現今は稀有の激変期にあり、世情は騒然としている。
自分1人を正しく潔くすることを急ぐあまり、国家100 年の憂いを忘れ
目先の安らかさを求めることは、真に責任をとることにはならないと考える。
内外の情勢を鑑み、敢えて身を挺して艱難に立ち向かい、
徳行を修め善行を積み禍を払って、国運の再建と国民の幸福に尽くすことにより
祖宗と国民に謝罪しようと思う。
全国民もまた、朕の意を諒とし、内外の形勢を察し、心を合わせて協力し、
それぞれの天職に尽くすことによってこの非常時を克服し国威を広めることを心より願う」
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この国に生まれてよかった。。。
そう、心から思います。
占領軍(在日米軍)を一掃し
真の主権を取り戻しましょう。