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日本精神と日本文化の世界化で、世界は一つになれる

都知事選に立候補されている内海聡さんの
↓この動画で語られている天皇に関する問題発言について

 このお考えの内海候補を支持する人が多く、日本は大丈夫?と不安に思います。

今迄内海氏の皇室に関する考え「天皇は縄文人をブチ殺した侵略者だ」等への反論を二度書かせていただきました。

日本のご皇室は内海氏の言われるようなものではありません。
日本の歴史は見事なまでに最高の形態をとってきました。
まず万世一系の天皇の歴史はあまりにも見事です。

多くの国々は力の支配、暴力の支配、搾取支配が
消滅しながら断続的に繋がってきたに過ぎません。
一方日本の歴史のような親と子の関係は、永遠に変わることがありません。
日本のご皇室はその永遠性のある親子関係を維持してきました。
宇宙の根本である親子の絆が、日本ほど守り抜かれた例は他にありません。
マタイ伝に、ヨセフに至るまでの系図が残されていますが、
日本歴史にも現在まで続くご皇室の一系の系図が残されています。
そのご皇室を悪魔勢力は、原爆投下の候補地にしていました。

以前も書いたのですが、終戦直後のご皇室の親子の様子が描かれている記事を転載します。
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(ココから、引用 歩一〇四記念講演特集号より)
(略)また、さらにご立派であったのは、貞明皇太后でした。

その貞明様が、皇霊殿に陛下をお招きになりました。
皇霊殿は高いので、東京の市中が見えるのであります。
焼けただれ、一日千秋の思いでわが子の復員を待つ年寄りたちの姿も、見えるのであります。

貞明様は陛下にそれをお見せになり、「陛下、国民は陛下のご不徳によって、このように苦しんでおります。
この国を一日も早う復興しようと召されず、お腹をおめしになろう(切腹しよう)などとはご卑怯ではありませんか。
退位は絶対になりません!」
陛下は、母君の前で頭を垂れて泣かれたそうです。
どうしたらいいのかと。
「陛下の万歳を叫んで死んでいった護国の英霊の労苦を労いなさい、遺族の労苦を労いなさい、産業戦士の労苦を労いなさい」
――これが、後の陛下の行幸(外出)になったのでした。

むしろ陛下がおいたわしかった。「万歳、万歳」の歓呼をもって迎えられました。
言えばやはり記録に残りましょうから、その県名と市名はもうしませんが、北陸のある所(福井市)においては共産党が、
「朕はたらふく飯を食う。汝臣民飢えて死ね」
とプラカードを仕立て、二〇〇〇名のデモ行進をやっていました。
「陛下、お逃げなさい」
しかし陛下は、
「私に面会を申し込んでいる限り、私が会いましょう」 
と言って、皆の前に頭を下げられました。
「皆様方が私を打擲することによって心が癒えるならば、ごずいにめされたがいい。
でも日本の国を一日も早う復興し、次の子孫へこの国を送り得てこそ、
はじめて護国の英霊に対し、我々が報いる道ではなかろうか」
と陛下は申されたのでした――

はっきり言ったほうが良かったのかも知れませんが、場所を。陛下に向かっての発砲もありました。
八二歳のある老婆が犠牲になったことも、中国地方の一角でありました
(広島で、陛下をねらった弾がはずれて老婆に当たった事件)。
陛下の行幸は、そういう中に続いたのであります。」

~~~ ココ迄、引用 おわり ~~~

■愛情主義の模範を天皇は示されました。
天皇は独裁者ではなく一家の父母のような存在です。
親は家族全体の幸せを願い、家族は親孝行を目標に頑張るものです。
家庭の当然の姿です。
その家庭を大きくしたのが日本の国です。
他国の君主は恐怖で統治します。
日本の天皇は違います。
天皇は温かい愛に満ちた 親のような存在であり、 国民は子供に該当します。

世界の我欲主義勢力は力で支配しています。
しかし世界が永遠性のある一つの家族のような平和を築くには、親子の絆を軸とすべきです。
日本の愛情主義を世界化すれば一つにまとまると確信します。