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救われろ「僕」よー櫻坂46_IWTC MV解禁 毎日note neo EX 2024年9月26日付
私は毎日noteをする以前から、noteそのものは不定期で書いてきたけれど、その頃から一貫してずっと言っていることがあって、それは
・櫻坂と日向坂は、欅という大木の枝分かれ。根底にあるのは同じもの
・櫻坂は欅坂の楽曲を封印などしていない。「前向きなお別れ」とは封印を指していない
・櫻坂に与えられた命題は、これから先も「欅坂46を超えろ。」である
・推しメンはいるけれど、基本は箱推し。全員推したいのが本音
・本当は選抜より全員選抜がいいに決まっている
というようなことで。
たとえどんなに形を変えようと、或いは新しいメンバーが入ろうと、そして、誰かが卒業しようと。
この部分だけはずっと変わらない。
櫻坂になってから、10枚目のシングル。ということは、MV解禁も10回目の経験。
以前は12時解禁の時代もあって、そのときはがっつりリアタイできたんだけど、夜に回ってしまってから、そもそも22時前に授業が終わるのにリアタイできるわけがない!
ただまぁ、それは自分の職業が堅気じゃない時間帯に動く商売だからであって、世間的にはこの時間に解禁する方が見てもらえるわね笑
22時前に終わり、掃除やら報告書やらなんやらで、どんなに急いで職場を出たとしても、帰宅して落ち着いてMV観られる時間帯は日付を跨ぐか跨がないか、という瀬戸際になる。
MV解禁後には
深夜0時過ぎには落ち着きそうなので、お時間大丈夫な方、もしよろしければ川島とMV同時視聴しませんか?
— 🌸🎨🧢🏦 川 島 雅 隆 ◢͟│⁴⁶ 🌳🐴🗒☀️ (@hiroty0526) September 25, 2024
AM0:15くらいからスペース立ち上げます!
皆さんの感想以外何も観ておりませんので、完全初見の川島のリアクションとなります!👍#櫻坂46_IWTC
という、YouTuberさんのようなことをやってみて笑
大した初見リアクションにもならず、みなさん難しいことをされてるんだなと思いつつ笑
私の場合見入ってしまうのでどうしてもリアクションには向かないんだろうなと思いながらも、でも映像になったことで新鮮な驚きはたくさんあった。
サウンド面はサウンド面の専門家の方、ダンス面はそちらの方がそれぞれYouTubeでも配信されているので、どちらにも素人である私は、ただの一ファンとして書くことしかできないし、それも歌詞とその世界観に触れることだけしか。
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バラードで入っていくこの部分は、ティザーでも触れられていたとおり。
初見リアクションスペースでも話したんだけど、明るくないと眠れない人は確かに一定数いると聞く。
でも逆に言えばそれは明るければ眠れる、ということでもある。
世の中にはもっと大変な人もいて、明るかろうが暗かろうが眠れない人もいらっしゃるのであって。
でも、だからまだマシだ、などと言いたいのではない。
明るくないと眠れない、ということの裏側にあるものにスポットを当てようとしているのではないだろうかと。
それはやはり孤独じゃないのか。
しかもその孤独に耐えられない、という話じゃないのかと。
音源だけ聞いたときも思ったことではあるけれど、これが成長した欅坂時代の「僕」であるならば、一本の線で繋がることになる。
ここからはそうだと仮定して。
欅坂時代の「僕」は、確かに孤独を愉しんでいる、誰とも関われないことをよしとする旨の歌詞が多かったように記憶しているけれど、どうも「アンビバレント」のあたりから様子が変わってきていた。
もしかして「僕」は本当は、孤独でいることを無理やり正当化しようとしていないか?
無理やり自分の中で折り合いをつけようとしているのではないか?
でもそのことに気づいてしまったら
そのことを自分で認めてしまったら
彼のアイデンティティは崩れてしまうのではないか?
それがわかっているから、孤独でいることをよしとしようとしているのでは?
…そんなふうに思った。
あれが7thだった。
その後8th「黒い羊」が出て、その疑念はどこか確信に変わった。
孤独は一人でいることだけを指しているわけではない。
集団の中での孤独が最も孤独を感じる。
「黒い羊」なんてまさにそれで、わざと逆張りしているのではないかと思えるほど、世の中の趨勢に逆らおうとしている様子は、破滅型というか。自ら望んで孤立を選ぼうとしているようにも見え、でもその理由というのが、大人が勝手に決めた「正しい」とされるレールの上を歩くことを嫌がる姿勢であり、自由度のなさを憂えた結果であったと認識しているけれど。
で、もしその彼が今回の主人公の、数年後の姿であるならば。
孤独でいることを選んだ結果、その自分が忌み嫌っていた大人になって、自分がその存在になったときに、今の自分は一体何に抗っていくのかわからなくなった。
気づけば自分一人しかいない。
それでいて、消えて無くなることへの恐怖はずっとある。
人間は二度死ぬ、とよく言われる。
一つは物理的な死を指し
もう一つは、その後人々の記憶から消えていくことで、最初からいなかった人のようになってしまう
それが二度目の死
だから、何よりも「明日」を欲する。
明日が来て欲しいと願う。
自分が生きていることが実感できるために、太陽に昇ってきて欲しいと願う。
一人でいると、意識が内に向かわざるを得ないから、そういう考え方になってしまうのか。
…私自身、二度目の死の恐怖は間違いなくある。
その恐怖があるから、自分が生きた証を文字として残そうとしているのではないかと自分で思うこともあるけれど。
暗闇が怖い、というのはそういうことなのかもしれない。
一人でいることを否応なしに感じさせられる瞬間だからだ。
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朧げに歌詞を聞いていた音源解禁のときからそうだったけど、明日が来てほしい、だから前向きな曲だ、という人も多くいた。
確かにそのとおりかもしれない。
でも、心の底から明日を求めているというよりは、明日が来ないことが怖い、という消極的理由とでも言おうか。
未来を志向する曲であるなら、なぜこんな鬱屈したものを全身で感じるのか。
やりたいことも、やり残したこともある
そりゃそうかもしれないけれど、では時間があったらそんなやりたいことややり残したことを本当にするのだろうか。
孤独に生きるというのは、本当に難しいことで。
自由勝手に生きられる、ということは、その結果に責任を負わなければならない、ということであって。
誰にも文句は言われない代わりに、その起きた事象の全てを受け入れることを求められて。
ずっと考えていたのは、よく欅坂は平手友梨奈一強とか、他のメンバーがバックダンサーにしかならなかったとか言われることがある。
でも、人と人との軋轢を嫌って孤独に身を落とすことを選んだ「僕」の存在を描ききるには、それしかなかったのではないだろうかと。
他のメンバーは、孤独に生きる「僕」に手を差し伸べる存在であってはいけなかったのではないか。
敢えて言うなら、同じ世界線に行きながらも、決して交わることのない、ただすれ違うだけの人。
ある瞬間、同じ場所で人生を交叉させたはずなのに、「僕」とは違う世界に生き、たまたまその場所で空間を一にしただけの人。
「僕」以外は、「その他大勢」でなければならなかった。
欅坂というグループを思うときには、そんなことを考えることもある。
でも、櫻坂は違う。
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私が考える欅坂と櫻坂の「僕」の違いの一つは、今日に絶望していたのが欅坂の「僕」で、しかもそれを達観しているようなところもあって、本当は受け入れたくないけれどどこかで仕方ないとさえ思っていたフシがあったのに対し、そんな主人公が成長したと思われる櫻坂の「僕」は、明日の絶望が怖いと嘆く。
その怖さの源泉は、自分がその不安を増幅させていることだと知ってもいる。
でも、だからこそ。
夜が来て、暗闇に耐えられず煌々と照らすLEDの中でしか安心できずにそこで瞼を閉じて次の日を迎え、明日がやってきてくれたことを喜びながらその日をスタートさせる、そんな毎日の繰り返し。
「僕」よ、それでいいのか
と本当に思ってしまう。
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歌詞的に見てもそうだけど、この曲の最大のポイントはここだと思っていて。
今まで櫻坂が辿ってきた軌跡から、当然の如く未来への想いの馳せ方、さらにはグループの改名時の、グループにまつわるすべての人の覚悟に至るまで。
何か全てがここに表現されているような気もした。
だから神々しくも見えたし。
10枚目という節目を迎えたからこその、ここまでを考えられる日がやってきたのかなという感慨もある。
繰り返すけれど、現代人としこの世に生まれ落ち、日々を過ごしていく中で人間関係に疲れた人は、きっと誰もが通り過ぎる感情たちだと思うのだ。
欅坂46というグループは、思春期でそんな感情に出会ってしまった少年少女たちに寄り添った。
励ますのでもなく、ただ隣に寄り添った。
同じ方向で同じ景色を見ようとした。
励ましの言葉などが、何も響かないことを知っているから。
上辺だけの言葉に、何の力もないことを知っているから。
そしてそこを通り過ぎて。
前述のとおり、考えた。
いや、もう既にあのときも同じことを考えたことがあった。
この主人公が大人になって、あのとき鋭い視線を向けていた存在に自分がなったら、自分の中でどういう整合性をとって生きていくのだろうかと。
その一つの答えが、この曲だ。
孤独に生きたが故に、孤独はある種の魔物だったはずだ。
でもその魔のレベルはおそらく、当事者には客観的にわかるまい。
きっと麻痺している。
でも、たとえそうであったとしても、五里霧中な自分の立ち位置であったとしても、なんとか明日を志向しようとしていることだけは、本当に救いだ。
そして特筆すべきことは、、、お気づきだろうか。
他人の手を借りようとしていることだ。
誰かに自分の寝顔を見てもらうことが幸せだと。
孤独と共に生きてきた「僕」と思えない発言。
いや…でもどうだろう。
孤独に生きてきたからこそ、何をしてくれるわけでもなく、ただ自分をじっと見守ってくれる存在に幸せを感じるのか。
自分一人では生きていけないと知った「僕」の姿。
孤独に生きようとするのは、あまりに茨の道だ。
そこから抜け出そうとしていることがわかってホッとする。
ホッとする一方で…
ほんのちょっと
ほんのちょっとね。
心の切れ端くらいだけど。
「僕」よ。
キミには死ぬまで孤独でいることを是としてほしかった気持ちも、ほんのちょっとあるんだ。
孤独は苦しいかもだけど、苦しいばかりじゃない。
いいこともあるんだ、こんな生き方だってあるんだぞと
もう一つの選択肢を示してほしかった気持ちが、ほんのちょっとだけ。
でも、それは無責任だよな。
そんなことを望むのは、あまりにキミを軽んじている。
キミは気づいていないかもだけど、たぶんキミが考えているより相当多くの人の人生を救ってきたんだから。
敬意を表して。
報われろ「僕」よ。
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