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毎日note #02 拝啓 齊藤京子様ーある意味で最も欅の木を愛した人 2024年5月2日付

齊藤京子さん

8年間のアイドル人生を全うされたこと、本当にお疲れ様でした。

誰かが卒業するときには私は必ず言うのですが、「卒業おめでとう」という言葉はどうしても使いたくなくて。だから「お疲れ様」という言葉に集約させています。

もちろん本当のところを知っているわけではないので、外から見ての想像でしかありませんが、諸々総合して考えると、日向坂一期生が漢字欅に対して思い描いた様々な想いは本当に強く強く育っていたのだろうとずっと思っています。


私が皆さんを見ていくきっかけとなったのはやはり欅坂46であり、その後の、実に他人に説明しづらい経緯を経て集められたひらがなけやき一期生ですから、当然思い入れも深くありました。ところが、当時のファンの界隈というのは、今から考えてみると全く成熟しておらず、ひらがなの皆さんには辛い思いがあったこと、本当に容易に想像できます。

私自身はずっとあのときから、漢字のメンバーはもちろん、ひらがな一期生の握手の列にも並びました。同じ欅の木の一枝である皆さんのことを同列に扱わないというのはとても自分のなかで違和感があったのです。

でも、そうでない人も多かった。それは事実でした。

ただそうであっても、例えば漢字欅の表題曲にひらがなからメンバー入りする、というようなことがあれば溜飲は下がるかもしれない、と思ってはいました。裏でどんなやり取りが行われたか知る由もありませんが、結局それも叶うことがなかった。原因を探るのは趣旨と違うのでしませんが、それでいよいよひらがなの存在意義そのものが見えなくなったのは、当然あったと思います。


齊藤京子さん


傍から見ていてあなたは、そんなひらがな一期生の中でも一二を争うくらい、漢字欅に対する思い入れが強かったメンバーだと勝手に思っています。
本当に、本当になりたかったと思う。
憧れももちろんそうですが、おそらくひらがなのオーデを受けた理由も本当はそこにあったのではないかと思えるほど、その気持ちはこちらに強く伝わっていました。

方向性がだんだん見えなくなっていくひらがなにおいて、あなたが別の「夢」を抱くのは、そんなに不自然なことではなかった。


2019年2月11日。「ひらがなからのおしらせ」SHOWROOM配信。


単独デビューであったり、CMタイアップであったり、DCDL開催であったりと、予定調和の発表が行われていた最後に待っていたのは、メンバーも知らないサプライズ発表。

それが…

日向坂46への改名発表でした。

そこにいる一期生メンバーの誰もが知らなかったからこそ、改名の発表を聞いた瞬間のダイレクトな反応には本音が出ていたと推測します。

その中で、齊藤京子さん

あなたが飛び上がるほど喜んでいたこと、ずっと忘れていません。


あれだけを見て、「欅の名前から離れるのがそんなに嬉しいのか」という心無い声もありました。でも、その嬉しさがどこから来るのか、私には手に取るほどよくわかりました。

漢字欅に自分たちは、なれない。
今のままでは、ひらがなのままではそれこそ自分たちの行く先に未来が見えない。

だったら、いっそのこと…

独自のアイデンティティを構築するよりほかはない。


あのときあなたは、「ひらがなをやっていくうえで、三つの夢があった。一つはひらがなの冠番組を持つこと、二つ目はひらがなの単独デビュー、三つめは、三つとも叶ったら言いますってずっと言っていた」と語ってましたね。

そしてその三つめの夢が、ひらがなの改名だったと。

だからと言って、欅の木が嫌いになったわけでもない。むしろリスペクトしかない中で、その欅に自分たちがなれないのなら、自分たちが生きていく道としてその選択肢は当然なのです。だからあなたが心から喜んでいたことに何の違和感もなかった。むしろあのときのほうが素直に「おめでとう」という言葉が出てきたくらいです。


欅の木が嫌になったわけではない。

そう思うに至るのは、その後もあなたは、漢字欅との接点をずっと離そうとはしなかったことにあります。
その最たるものが、2022年7月24日、W-KEYAKI FES.2022 DAY3における、あなたがセンターとなって披露した「語るなら未来を…」でした。

あなたにとってのカタミラは何も珍しいことではなく、ひらがな時代にもセンター曲で披露している。ケヤフェスというからには何がしかの漢字との繋がりを意識する曲を入れてくるだろうと思っていたし、そういう意味ではカタミラはぴったりでした。

本当に強い、漢字欅への想いを感じ取れた瞬間。

一期生は全員あるはずの漢字欅への想いですが、中でもあなたのそれはやはり群を抜いていると思うのです。

それは、「絶対に100%敵うことのできない人」として後に名前を挙げた平手友梨奈さんの存在だったかもしれない。
それは、ずっとずっと憧れだったと言っていた、小林由依さんの存在だったかもしれない。
それは、漢字とひらがなで再会する遥か前から知り合いだった、盟友・今泉佑唯さんの存在だったかもしれない。
いや、それらすべての集合体である漢字欅の存在全てが、心を震わせるものしかなかったのではないでしょうか。


日向坂46となってからは、グループカラーが変わったのだから当然ですが、ひらがなの色は結構薄まっていったように思います。それ自体はもちろん悪いことではなく。
そうではあっても、時にあなたがメインで映し出されると、日向坂としての齊藤京子以上に、やはり緑の色を愛してやまない齊藤京子が、私の中では増幅して仕方なかった。「居心地悪く、大人になった」のときなどは特にそれを感じたし、そして何より最も欅の木の存在を感じたのは、8thシングル「月と星が踊るMidnight」でした。

確かに、形は違ってしまった。
漢字欅でセンターどころか、メンバーにすらなれなかった。
でも、あなたは、あなたが最もいるべき場所で、最高に光り輝く機会を得られた。そこに至るまでの期間は、確かにとてつもなく長かったですよね。

でもその分、熟成された光は眩かった。


齊藤京子は、報われた。


あのとき本当にそう思いました。



2024年4月5日。横浜スタジアム。

卒業コンサートの主役として、あなたがいたステージ。

あなたが涙を見せたのは、やはり月星でしたね。
特にいろんな思いがあった曲だと思うので、溢れだしたのだろうと思います。

一方で、そんな卒コンで私が最も涙したのは、欅曲である「手を繋いで帰ろうか」「語るなら未来を…」「太陽は見上げる人を選ばない」でした。

私自身は、日向坂も櫻坂も、同じ欅の木を構成する大切な要素だと思っているので、そのつながりが感じられる曲には、とても心から押し上げられるものがあるのです。

確かに、カタミラを披露するあたって、ケヤフェスのときもそうでしたが、いろんな声があったのは事実でしょう。
でも、それはほんの一部の中の一部であって、見る限り多数派ではない。
そう確信できるのは、やはりあのときに緑に染まったペンライトの数でした。日向坂に改名して、ひらがなよりとっくに歴史の長さを刻んでいるのに、しっかりと日向坂の出自をわかっている人がこれだけいるのだと。この声なき声が、本当のおひさまの多数派なのだろうと、そう思いました。

もちろん私の中では、日向坂も櫻坂も、漢字欅もひらがなけやきも一体なので、日向坂がカタミラを披露することに不思議は何もない。むしろもっと披露させてあげてほしかったとさえ思います。



どうでしょう。
悔いなく卒業を迎えられましたか。


齊藤京子さん

あなたは本当にカッコいい。

一つ一つの夢を着実に実現し、そしてまた次の夢を叶えるために動き出す。

言葉ではなく、実際の行動でそれを証明する。

なかなかできることではありません。

もちろん、環境に恵まれた、というのもあるでしょう。しかし、それすら真摯に真っ直ぐに自分のやりたいことに向かっていく姿勢が呼び込んだものではないかと。何もなければ、環境も周囲の人間も味方になってくれるはずがありません。



新しい事務所は、長澤まさみさんや、浜辺美波さんといった有名女優を擁する東宝芸能さん。それを聞いた瞬間に、新たな夢が何なのか、察しがつきました。


まさに、僕に続け。

あなたの成功が、同じ道を志す者たちの行く先を照らす光となるように。

いや、あなたならなれる。きっと。


齊藤京子さん

あなたに

心からのありがとうと、そして、


いってらっしゃい。



敬 具





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川島 雅隆(かわしま まさたか)
noteの中でも、櫻坂46・日向坂46に特化した内容ですので、特に二つのグループの推し活を経て、皆様に文章で還元できるよう努めてまいります! よろしければサポートをお願い致します。