桜色の法被物語 その67―まぼろし。
ふと頭に浮かんだ副題は、迷わず即採用。
思い返してみれば、「桜色の法被物語」も
なんとなく頭に浮かんだお題で採用した経緯があります。
別に真剣に悩みぬいたわけでもないはずなのに
まるで計算尽くのように非常にしっくりくる、
自分の活動を語るにはぴったりな名前でした。
「まぼろし」も、今の心境を鋭く表現する言葉のように思えます。
鋭い幻なんて第一印象としては不思議なかんじもしますけどね。
その「まぼろし」が何を指すのか、思い当たるものが多すぎて筆が止まりかけました。
はっきりとは見えない、有るのか無いのかはっきりとしないもの。
そのせいで、先行きが見通せなくなる。
あえて辞書を引かないで、この言葉から感じたことを書いてみました。
副題は迷わずに採用したのに、実際に中身を書くときは頭が空回りして先に進まない。
まさに先行きがわからない状態。
直球で「ウイルス」と書くのも芸が無さ過ぎますもんね。
ニュースなんかを見ていると、どうやら中国語で病毒と言うらしい。
そんな無駄すぎる脱線話が頭をよぎったりして、直球で書こうとしたくせに迷走状態。
目に見えないし、人間社会を先行きの見えない混乱に陥れるという意味では
ウイルスがもたらしている物もなんとなく幻のように思えましたが
この方向で話を深堀りするのは無理なのでこの程度に。
なんとか私生活が落ち着いたあの時期、出張先のお土産話に花を咲かせていた思い出。
それが爆心地の影を引きずる、底なしの不安に様変わりしてしまうなんて。
もちろん悪いことしたわけではない、そんなことはお互いに分かり切っているけど。
言葉を交わすまでもなく、いや、当時の感覚を思い出すと交わせなかった。
大丈夫だったかなんて分かりっこないから。
毎日後悔しながら、そして不安を味わいながら時間が経つのを待つことしかできない。
でも、いつか頃合いを見計らって近況を打ち明けないといけない。
年末に笑顔を分かち合い、ともに素敵な新年を迎えられるよう祈った皆さんに。
そして認めたくない。その願いが幻になってしまうなんて。
その瞬間、楽しかったはずの思い出まで奪われてしまうなんて。
「不要不急の外出」。
ここ数年、それを取ったらほとんど何も残らないような生活でした。
みんなに会いに行く、それを可能な限り自粛しないといけない。
手も足も出ない状況。オンラインでも話題は決まりきったものばかり。
実生活がそれなりに充実していないと、
ネット上で発信できることもそれなりに制限されてしまうもどかしさも。
絶対に地元から逃げやしない。意地でも。いくら遠方からでも。
ようやく安定して活動できるようになりつつあったのに、
冷や水やら濁流やら途方もない時代の激流に呑み込まれてしまうなんて。
良くも悪くも誰も開拓したことのない世界を切り開いていた、
自分自身の存在感が「まぼろし」になってしまいそう。そんな喪失感。
これでも、地元から消え去るつもりは無いのに。