人を信頼できる環境で育ったことに感謝
うちの息子は、小2から中3まで2つのフリースクールに通い、今年から遠方の高校に進学して寮生活を送っている。
先日、息子と電話で話していた時のこと。
先生に忘れ物で怒られた話をしていた。
全く悪びれる様子がない息子。
「だってさ、教科書を忘れたら隣のクラスの友達に借りればいいし」
「給食(寮生の昼食に給食が出る)の三角巾を忘れても友達に借りればいいし」
いや、忘れ物はよくないでしょう、そんなにいつも友達に借りるのはどうなの?と私が返すと、
「いや困ったら人に助けてもらえばいいんだからさ」
この言葉をさらっと、でも心の底からそう思って言われて、参ってしまった。
私は「困ったら誰かに助けてもらえばいい」とは思えず、背負い込んで自滅するタイプ。この癖がどうにも抜けない。
「教科書を貸して」と言うのも恥ずかしいし申し訳ないと思ってしまう。
「僕は今までずっとこうしてきたから」
そうだね、確かに。
フリースクールのお出かけでしばしばお財布を失くしていたから、きっと他にも様々なことで助けてもらってきたのだろう。
「助けて」が言えなくてつぶれたり病んだりする人が多いこの世の中で、「助けて」が言えるのは強い。
どこへ行っても生きていける。
こうした人への全幅の信頼感は、どこからきたのだろう?
フリースクールで、そのままの存在を受け容れられ、認められて育ってきたからこそなのだろう。
それが可能だったのは、競争や評価がない関係性や、同調性を求められない環境だからか。
人を信頼するという大切なことを受け取れる環境で育ったことに、改めて感謝したい。
でも、忘れ物はほどほどにしてね。
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