#11 夕焼け
夕焼けに、どうやら私は弱い。
おそらく人には、
何だかセンチメンタルな気分になりやすい時間帯というのがあって、
私の場合夕方がそれに当てはまるみたい。
朝方の何でもうまくいきそうなポジティブな気分でも、
夜中の不確定な未来に悩むときの憂鬱な気分でもなく、
何かが終わってしまうような、切ないようなこの気持ちは、
天気の良い日の夕焼けを見たときにしか感じることができない。
小さいとき、夕方はさみしい時間帯だった。
小学校から帰り、友達と遊びに出かける。
遊ぶのは大体近くの公園で、
ブランコ二人乗りの技の開発に勤しんだり(私が大体立つほうで、座った子に「目を瞑ってください、今から宇宙への旅にご招待します」とか言ってた)
泥団子を作ったり(違う校区の男子に「泥団子ババア」と言われたことをかなりしばらく根に持った)、
鉄棒したり(逆上がりはいつまでもできなかった)、
野球したり(走るのが嫌だからだいたいピッチャー役)、
やたらとボールを投げあってみたり(ドッヂボールの劣化版みたいな中当てって遊び、まだあるのかな)。
思い出してみると、子どもの遊びの想像力には目を見張るものがあるな…
同じクラスの友達と学校が終わってからも遊ぶのは、
仲良しだからだよね、いっしょにいると楽しいもんねと、
関係の特別さに嬉しくなったりしながら、
今考えると何がそんなに楽しかったのか分からないけれど、
当時の私はそこそこ楽しい時間を過ごしていた。
日の入りが早い季節は17時、そうでない季節は18時に、子供たちの帰宅を促す音楽が町内で流れる。何千回と聴いたはずなのに未だに曲名も知らない。
スマホも、腕時計も持たない私たちは、その音楽が鳴ると帰宅の合図だ。
ちょっと日も落ちてきたし、そろそろおうち帰ろっか。となる。
やだ。さみしい。もうちょっと遊びたい。でもこの子のお母さん門限厳しかった気がする。その前に、そんなわがまま言えないよね。
なーんて思いが1秒で頭を駆け巡って、「そうだね、また明日学校でね!」と言い合って別れる。
家に帰るとお母さんと犬が出迎えてくれて、
宿題、お風呂を済ませたらごはん。テレビを見て、明日の学校の準備をして、就寝。
近くで監視するでも、遠くでほったらかすでも無い、ほっとする距離感で私を見守ってくれた家と家族。
天気の良い日、友達とめいっぱい遊んだ後の夕焼けの時間、
確かにある種のさみしさを感じていたこと、
けれど、帰る家があって、受け入れてくれる場所があるという安心感もどこかに感じていたこと。
その感情の波の繰り返しが何度もあったからこそ、
大人になった今でも、この時間帯になると、
どこか切ないような甘いような気持ちになるんだろうか。
朝起きてからこの時間までに起きた、楽しいこと、悲しいこと、いろんなことを思い出して、
今日が終わっちゃうのは何だか寂しいけれど、
これから日が沈んじゃったあとの時間帯、そしてもっと未来でも、きっと温かい何かが待っているはず。
そんな心境に、夕焼けのせいでなってしまう。
というわけで、夕焼けが見られる時間帯に帰してください、お仕事さん。(笑)