「気持ちいい風が吹いたんです」 そう呟きたくなる夜だった。 風に乗って あの頃の記憶がわたしの頬をかすめる。 ああ、あの夜もこの曲を聴いていたな、 メロディーとともにあの時の記憶がよみがえる。 鮮明に、それでいて輪郭は少しぼやけてにじんでしまっている。 久しぶりにあのプレイリストをひらく。 宝物みたいなわたしのプレイリストを。 音楽に出会ったのは大学1年生の春だった。 あの頃は、浮かれていたなあ、本当に。 はじめてのことばかりだったから。 ピンク色が3日で落ちて金
昔聴いていた音楽を繰り返し聴く、ということをあまりしない。 音楽にくっついた思い出の純度が失われるのが嫌だから。 音楽は昔の思い出を大切に閉じ込めてくれる宝箱みたいなものだと思う。 それは一種のタイムカプセルみたいなもので、何度も開けることなく10年後、20年後に開けるからこそ、何年分もの懐かしさに心がいっぱいになるとか、そういうものだと思っている。 だから、そう何度も何度も繰り返し開けていいものじゃないのだ、私にとっては。 聴けば聴くほどに、あの時の気持ちをあのときの
晴れた青空が雲の隙間から見え隠れしているくせに雷がゴロゴロとなり続ける、変な日だった。 さっきまではきらきら青空だったのにいきなり黒い雲が押し寄せて恐ろしい音をこの世界に鳴り響かせる今日の空は、私みたいだった。 朝、大学に向かう電車の中でいつものように音楽を聴こうとイヤホンを耳に差し込む。エアポッツというものがどうにも自分には似合わない気がして、いつまでも有線の優しいピンク色のイヤホンを使っている。いつまでも私は、好きな人とつける片耳イヤホンに憧れる少女なのである。 音
私の住むまちでは今日も祭囃子が鳴り響いている。 祭囃子をよそに今日はアルバイト。 三度の飯よりお祭り好きの私には、お祭りをほっぽりだして働くことははじめての経験で、仕事が始まってから (どうしてアルバイト入れちゃったんだろう、、、)と後悔の念が心を支配した。 アルバイト先ではお祭りへ向かう人々の陽気な笑い声が聞こえる。笑い声の先にある、お祭りの匂いとか人混みの暑さとかいちごシロップのかき氷とかに思いを馳せる。 そういえば、小さい頃はかき氷が苦手だったなあ。氷が溶けて水にな
人が孤独に気づくのは 誰かの繋がりを目にした時だ。 祭囃子が響く町をあとにして静かな家の中に帰ってくると、どうしようもないやるせなさと孤独を感じた。 太鼓と笛が創り出す祭の囃子に今年も魅せられながらきゅうりとパイナップルを頬張る。祭ってのはいい。地域の繋がりを五感で感じられる。こんなに大勢の人が一緒になって太鼓叩いて笛吹いて踊りを踊って一つになって、遥か昔から人間はこうやって絆をつくってきたんだろうと、数十万年の歴史に思いを馳せる。 綺麗だ。と思った。 そう思うのと一緒
淡いピンク色がふくらんだ風船を手の中でふわふわあそばせながら帰路についていた。 今日はいい事が起こる日だった。そう、決まっていた。なぜならあの子とご飯に行くと決まっていた日だったから。 あの子と言っても、好きな人とかじゃないのよ。すっごく素敵なお友達。 人ってのはどうしようもなくすれ違う生き物なのだと思う。言葉があるのに、いや、言葉が使えてしまうからすれ違ってしまうのだと、1人歩いた夜道でふと考えた。 あの子は、あの子のことを今日は風船のあの子と呼ぶことにしましょ。今日の
衣服や積ん読、いつぞやのレシート。 そんなものたちが居場所を失ってころがっている私のお部屋。 「片付けできない人は物を大切にできていない人だ」どこかで耳にしたそんな言葉がずっと鼓膜を揺すって心まで侵食してくる。 「別に散らかしたくって散らかしているわけじゃないんだよ」 「ちょっと収納のスペースが足りないだけなんだよ」 なんて誤魔化してみるけれど、自分でもわかっている。このお部屋の根本には怠惰な自分が寝っ転がってアイスでも食べているんだよって。 それでもこの部屋の中には1つ
どうしてこんなにも過去の貴女に縋ってしまうのかわからないけれど。 あなたがあの日と同じ詞を綴っているその事実だけで私は貴女を許してしまうんだろう。 大衆から外れたマジョリティを愛する君の言葉に私は幾度となく斜めからこの心を突き刺されたけれど、今考えてみたら君は結局ただこの世界のただ一人に過ぎないってこと。君を唯一の人だと確信していられた私は君を過信しすぎていたようだった。 煙も氷もそんな簡単に消費されていいものなんかじゃないでしょう。貴女は貴女の価値を信じてただ真っ直ぐに
梅雨の水無月なんて過ぎ去って早く夏になればいいのに。 夏が好き。 夏って、幻みたいだ。 毎年必ず夏を生きているはずなのに夏が終わってしまうとその日々が夢だったみたいに思える。風に押されて身体を覆う花火の煙の匂いも、履きなれない下駄から鳴るカランコロンという音も、汗で肌にひっつくシャツの感触も、夏を終えてしまうとはっきりと思い出せない。蜃気楼に攫われて消えていく記憶の欠片をどうにか守ろうとするけれど、暑さが秋に溶けていくのと一緒に記憶もどこか遠くへ溶けていく。記憶が溶けて残
例えばそれは たとえTVで映画を見ていても最後のエンドロールまで真剣に見つめている君。 私が好きだと薦めたあの曲をさりげなく自分のプレイリストに加えてくれたあの子。 「桜が咲いたよ」って唐突に写真を送ってきてくれた貴女。 誕生日、0:00ぴったりに画面いっぱいにメッセージを送ってくれる彼女。 「朝4時に集合して車を走らせて、一緒に海まで朝焼けを見に行こう」と連れ出してくれたキミ。 「春が終わる匂いがして切なくなるね」って言ったら「だけど夏の風を感じてワクワクもする
5月12日。 今日はカーネーションを買うのにぴったりな日。 今は日本とフランスと、国境を越えて離れた場所に住んでいるので今年はラインでメッセージを送った。離れていても自分の思いをその思いが過去になる前に誰かに伝えることができるのだから、やっぱりインターネットとやらには感謝しなきゃいけないなと思う。 「母の日」というものがどうしてつくられたのかは知らないけれど、こんなふうに大切な人に感謝を伝える絶好の機会を与えてくれたこの日は素晴らしい日だ。 そんな今日この日に、私はすこし
好きなバンドのライブのチケットをまたしても手に入れられなかった。 明日はテストだけれどなぜか今アイロンで髪をストレートにしている。どうせ今寝てしまえば翌朝には芸術的な寝グセが完成しているだろうというのに。 時刻は23時、23時00分。今日はひとりごと。つらつらと。連ねていく。 独り占めしたいじゃない。好きなんだもん。 今年に入って3度目。大好きなバンドのライブに申し込んだ。 3度目の正直。2度あることは3度ある。矛盾した2つのことわざがあるって不思議だよなとぼんやり考
海のある町に生まれることができたなら、と何度思ったことだろう。 果てしなく深く青い海と対峙して、自分の心の奥底から流れ出してくる気持ちを叫ぶことができたなら。 幸せが私から遠ざかる時には海も私の側には居なかった。 どれだけ海を切望しても、周りを見渡せば四方を山に囲まれた小さな田舎町がそこにはあった。 まだ中学生だった頃、友達の一言一言に過敏になって嫉妬と理不尽な嫌悪をぶつけられ心を痛めてしまっていたあの頃。 自分がどんどん孤独になってどん底まで堕ちていく感覚を未だに鮮明
赤ちゃんが泣いていた。 電車の中で、飛行機の中で、水族館の中で。 しんと静まりかえった無色透明な空気の中に純粋無垢な叫びが響いている。 言葉にならない叫びを、体が許す限りの方法で伝えようとしている。 自分は確かにここに居るんだって言うみたいに力強くて芯の通ったその泣き声は、だれかの些細な表情の変化を感じて言葉を発する私の声よりはるかに立派なものだった。 泣いている赤ちゃんを見て ため息をつく人、困ったような顔をする人、イヤホンを耳に差し込む人、とっさにその子をあやそう
こんにちは。みなさんお元気でしょうか。 春の陽気が少しずつ舞い込んできたようですね。私の住む国では、もう春を通り越して夏がきてしまったようで春への未練を心に感じています。日本から遠く離れた国に住んでいると、春の情緒をも失ってしまうので寂しい限りです。 もうすっかり桜が満開ですね。といっても、私はその事を友人から送られてきた写真たちで知ったのですけれど。 桜を私に届けてくれた彼女は、小学校からの付き合いで、とっても尊敬している大切な友人。 そんな彼女が「わたしの中の○○の
分かろうとする優しさ と 分からないままでいるやさしさと 歩み寄ろうととする優しさ と 入り込まないやさしさと 言葉にして打ち明ける優しさ と 心に秘めたままでいるやさしさと あなたのすべてはわからないから私はあなたを好きなんだ。 涙の理由は知らないままで 「あなたにはわかりっこない」 そう言って涙をぽろぽろと流す私の横で、彼は黙って隣に座っていた。 なぜ泣いているのと聞かれても、自分でも涙の理由がわからない。 なぜか悲しくてなぜか涙がでてきてしまう。 そういう時