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ナポレオンのリーダー論

「古典に学ぶリーダーシップ」シリーズでは、歴史において人々を導いた偉人たちの思想や行動に光を当て、現代のリーダーに求められる要素を探ります。

第2回は、歴史上屈指の指導者であり、戦略家であったナポレオンを主題とし、そのリーダーシップに迫ります。

ナポレオン・ボナパルト(1769–1821)は、フランス革命後の混乱した時代に登場し、圧倒的なカリスマ性と軍事的才能でフランスを統一し、皇帝にまで上り詰めた人物です。

この世界史上でも屈指の有名人は、迅速な意思決定と革新的な思想で多くの戦争を勝ち抜き、ヨーロッパ各地を制覇しました。

ナポレオンは同時に、部下や国民に対する高い統率力でも知られ、多くの人々を勇気づけ、従わせる力を持っていました。

彼は軍人や政治家であっただけではなく、文人として多くの書物を残しています。

今回は、その中でも特に意味深いものを選んで編集された『ナポレオン言行録』を通じて、戦争や政治的な困難に直面しながらも、部下たちの心を動かし、フランスをヨーロッパで最も影響力のある国家へと導いた彼の思想を探究していきます。

(以下、文中の引用は同書より)



ナポレオンの世界観

それにしても、私の生涯は、何という小説ロマンであろう!

p.244

ナポレオンのリーダー論を知るためにも、まずはその世界観を探ります。

『ナポレオン言行録』は、さまざまな時代のナポレオンの作品(書簡や口述、歴史的研究、省察等)から抜粋して編纂されたものであり、決して体系的な理論の書ではありません。

そこで、特に彼の「自画像」から、基本的な思想を読み取ることを試みました。

この著作の全体を読んで、私は、ナポレオンはある種の運命論者であると感じました。

例えば次の文章。

一つのすぐれた力が私を私の知らない一つの目的へと駆り立てる。その目的が達せられない限り、私は不死身であり、堅忍不抜であろう。しかし私がその目的にとって必要でなくなるや否や、たった一匹の蝿でも私を倒すに充分であろう。

p.241

彼は自分が革命の申し子であり、この機運によって世界が自分を皇帝にしたと考えていました。

砲兵中尉に過ぎなかった青年が、大して苦もなくやすやすと帝位に即いたのは、彼が「情況の産物」だったからと言います。

それはナポレオン自身の歴史省察にも見出せます。

「歴史」とは、私の理解するところでは、個人と民族とを、それがその時代の直中現れることのできたままの姿において捉えるものでなければならない。

p.235

フランス革命、テルミドールの反動、イタリア遠征、エジプト遠征、ブリュメールのクーデター。

あらゆる外的な事情が複雑に絡み合う世界が、ナポレオンを皇帝にしたのです。

しかし、彼は世界に対して単に受動的であったわけではありません。

私が軍人であるのは、それが私の生まれつきの特技だからである。それは私の生活であり、習慣である。

p.241

ナポレオンは才能というものもまた、先天的なものであると考えています。

当時のフランスでは、王制の打倒、ロベスピエールの処刑、統領政府の腐敗といった政治的事情のために、世界は新たな秩序と国民を統率できる強力な指導者を求めていました。

そうした人物の条件を満たす最も効果的なPRとなったのが、軍事的勝利だったのです。

トゥーロンで頭角を表したナポレオンは一気に准将に昇進。

その後、革命政府は彼をフランス軍の要職へと抜擢し、ナポレオンの軍事キャリアは加速度的に進展しました。

当時、24歳の砲兵隊の若い将校だったナポレオンは、トゥーロン攻囲戦において革命軍に参加。
彼はイギリス軍に制圧されたトゥーロンを奪還するための攻略法を提案し、これを成功させた。

ナポレオンには当時の世界において求められていた指導者としての資質である軍事的才能が備わっていたのです。

この才能を発揮することによって、彼は見事に世界の要求に応えたのでした。

これもまた運命のなせる業ではないでしょうか。

私は大きな逆運にも負けないように生まれついていたと思う。数々の逆運に遭っても私の魂は大理石のように堅かった。

p.241

こうしてナポレオンには2つの運命的な力が影響を与えていたとみることができます。

1つは外的な要因としての歴史的な世界であり、もう1つは内的な要因としての彼自身の才能です。

そしてこれらが合わさった「一つのすぐれた力」によって、皇帝ナポレオンは形成されたと彼自身は考えているのです。

逆に言えば、その力によってもはや不要とみなされた時には、人間はその運命に抗うことはできません。

ナポレオンが、自分の人生を筋書きのある小説ロマンと喩えたのは、こうした世界と人間のあり方をよく反映しているのではないでしょうか。


リーダーシップの前提条件

戦争においては、天才とは事実の中で思索することである。

p.246

さて、ここからは本題のリーダー論に入っていきます。

ある人のリーダーシップが顕著に発揮されるのは、不確定要素が多く危険な活動、すなわち戦争においてであるというのが、クラウゼヴィッツの主張でした。

この主張については、ナポレオンも賛同するでしょう。

彼は、自分の帝位の基盤が、ただ軍事的勝利にあるということをよく心得ていましたし、実際、戦争においてこそその天才を存分に輝かせたのです。

「戦争について」の章から、ナポレオンが重視していたリーダーのあり方について探究してみましょう。

軍司令官たちは彼ら自身の経験や、彼らの天才によって導かれる。戦術や、機動や、技術者・砲手としての学問は、ほぼ幾何学と同じように、書物によって学ぶことができる。しかし戦争の高い部門の知識は、経験と、戦争史および偉大な将帥の戦闘史の研究とによってしか得られない。

p.249

戦争におけるリーダーの地位にある人物にとって重要なのは、ここで「高い部門の知識」と呼ばれているものです。

ナポレオンは、そのような知識は、経験および偉大なリーダーの研究によって得られると考えました。

リーダーの素質は、ある程度は先天的なものに左右されますが、研究によって後天的にも発現させることができます。

ナポレオン自身、アレクサンドロスやカエサルの伝記を好みました。

今回扱っている『ナポレオン言行録』にも、カエサルについての研究が収録されており、彼が歴史上の偉大なリーダーからその天才を学んだことを垣間みることができます。

彼は指揮するすべを知るためには、その研究をしなければならないことを明確に述べており、また、服従することに慣れてしまった人にはもはや指揮能力はないと言います。

ナポレオンは、才能、経験、研究こそがリーダーシップを発揮するための前提条件だと考えているのです。


リーダーの能力

戦争においては、いたずらに多くの人間がいたからといって何にもならない。一人の人間こそすべてである。

p.249

それでは、ナポレオンにとって、リーダーが備えているべき能力とはどのようなものでしょうか。

もし3つに還元することが許されるなら、実行力、才気、性格です。

もちろん、これらの資質は全く分離し並列しているのではなく、それぞれが有機的な連関を形作って存在しているものですが、さしあたってはひとつずつの要素に注目してみていきましょう。


実行力

作戦計画を立てることは誰にもできる、しかし戦争をすることのできる者は少ない。なぜなら出来事と情況とに応じて行動するのは真の軍事的天才でなければできないことだからである。最上の戦術家も将軍としては凡庸であったのはそのためである。

p.251

ナポレオンのこの発言は、実行力が軍事的天才に必要な能力だということを理解させます。

この能力は行動力、決断力とも言ってよいでしょう。

戦争のような国家的活動においては、リーダーの肩の上にのしかかる責任はとてつもないものです。

というのは、その者の能力次第で、大勢の兵士や国民の生死が決定されてしまうからであり、決断はかなりの恐怖感を伴います。

そのような重圧に耐え、あらゆる結果に対する責任を引き受けることができる能力が、実行力なのです。

アウステルリッツの戦いのナポレオン

実行力が欠けていては、頭の中では明確に筋書き立っており、その想像が全く正しく思われるように構成できた場合でさえ、行動には移せないのです。

ここに、優れた軍師が必ずしも司令官ではない理由があります。

将軍は軍隊の頭であり、一切である。ガリアを征服したのはローマの軍隊ではなく、カエサルである。ローマの入口で共和国をふるえ上がらせていたのはカルタゴの軍隊ではなく、ハンニバルである。インダス河のほとりへ赴いたのはマケドニアの軍隊ではなく、アレクサンドロスである。

p.252

偉大なリーダーは、とてつもなく巨大な責任を一手に引き受け行動し、偉大な事業を成し遂げたと、ナポレオンはみるのです。


才気

文明の時代においては、将軍は勇者の中の最も知的な人間である。

p.264

才気とは、優れた知恵や才能、洞察力や機知など、広い意味をもつ言葉です。

特に戦争にあっては、瞬時に状況を理解し、柔軟で的確な判断や対応ができる能力が重視されるため、才気はただの学的な知識だけでなく、独創的なアイデアや素早い機転をも含み、しばしばリーダーに必要な素質として評価されます。

軍学はまずあらゆるチャンスをよく計算し、次に、偶然というものを、ほとんど数学的に、正確に考慮に入れることに在る。この後の点についてこそは誤りを犯してはならない、そしてここでは小数点以下の数が一つ多いか少ないかによっても一切がガラリと変わらないとは限らない。

p.250

ナポレオンは、自分は常にあらゆる可能性を考えて行動しており、仕事をしていない時間はほとんどなかったと語っています。

政治家かつ最高司令官として、もたらされる膨大な情報に触れながら、その情報の真偽を見分け、整理し分析して外交を行い、戦争にあっては戦略を練り実行し、戦場では部隊の配置等を決めて戦術を発揮させる。

このようなとてつもなく大きな業務を率先してこなすには、優れた才気がなければ到底不可能でした。

皇帝時代のナポレオン

ところで、このような科学と精神の働きとが一緒にはいっているのは天才の頭だけである。けだし創造のあるところにはどこでもそのような科学と精神の働きとが必要であり、そして確かに、人間精神の臨機応変の働きの最大なのは、存在しないものを存在させる働きである。

p.250

特に重要なのは、そのように大きな仕事には偶然がつきものであり、臨機応変に対応していかなければならないということです。

そのためには、せっかく熟考して作成した計画に固執せず、あるいはこれにそのつど修正を加えていく思考の柔軟さと素早さが必要とされます。

ナポレオンが、事前には不確かな戦場で瞬時に状況を見極め、独自の戦略や戦術を生み出したことは、彼の才気を象徴するものと言えるでしょう。


性格

このように、才気はリーダーにとって必須の要件でしたが、時にその才気を上回るほど重要な資質があると、ナポレオンは考えます。

それが性格です。

軍人は才気と同じ程度に性格を持っていなければならない。才気は非常にあるが性格はほとんどない人々は軍人には最も不向きである。

p.252

ここで言われている性格とは、個人の行動や反応の一貫した傾向を表すもので、その人の気質に関する安定的な特徴のことであり、これに基づいて、思考や感情のあり方、行動パターンが、その人特有のスタイルとして現れます。

性格は、才気がもつような瞬発的な能力というよりも、価値観や信念、感情の向き方といった内面的な側面に関わり、状況にかかわらず比較的変わらないような能力です。

ナポレオンは、この安定的な能力を強固にもっていることを重要視します。

才気はほとんどなくても性格があった方がよい。才気はあまりなくてもそれに釣り合った性格を持っている人々はこの職業において成功することが多い。

p.253

たとえば、ナポレオンの「冷静で大胆」「意志が強い」といった側面は性格であり、これは戦場や政治の場に限らず、彼の行動全般にわたって現れる特徴といえます。

これが特に実行力と関連しているのは明らかです。

ナポレオンは才気と性格の両方を備えた人物の例として、カエサルやハンニバル、フリードリヒ2世を挙げていますが、彼らはその行動の大胆さが特に顕著な人たちです。

そのため、ここでナポレオンが述べている性格とは、大胆かつ冷静に行動することができ、例え苦しい状況に陥ってもそうした傾向を十分に発揮できるような能力のことを指しているのでしょう。

この能力が才気と合わさることによって、偉大なリーダーが誕生するというのが、彼の主張です。


まとめ

天才とはおのが世紀を照らすために燃えるべく運命づけられた流星である。

p.262

ナポレオンにとって歴史上に輝く偉大なリーダーとは、運命の力によって生み出された人物たちでした。

彼らはその時代における世界の要求に応える形で、半ば強制的に、半ば自分の意志で立ち上がってきた者たちでした。

とはいえ、みずからもそうした運命にあるリーダーたちのひとりとみなしていたナポレオンでさえ、リーダーシップを学ぶことは必要不可欠な出来事だったのです。

現代にあっては、彼らのような巨大な指導者はもはや世界が必要としていないでしょう。

しかし、なお大小さまざまな場面でリーダーシップが望まれるなら、まさにナポレオンがそうしたように、その本質は彼らに学ぶ必要があるのではないでしょうか。

ナポレオンの著作から彼のリーダー論を探究した結果、次のようにまとめられます。

「リーダーシップの前提条件」
・才能(先天的なもの)
・経験(後天的なもの)
・研究(歴史上の偉大なリーダーについての研究)

そして、これらの結果として

「求められるリーダーの資質」
・実行力(大きな責任に対する強靭な心や決断力)
・才気(瞬時に状況を理解し、柔軟で的確な判断や対応ができる能力)
・性格(常に大胆かつ冷静に行動することができる能力)

以上の能力が得られたとき、強いリーダーシップが発揮される、ということがわかりました。

今回はこれをもって簡単な結論とさせていただきたいと思います。

お読みいただきありがとうございました🌸



参考文献

オクターヴ・オブリ編、大塚幸男訳『ナポレオン言行録』、岩波書店、1983

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