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無価値感を抱えながら書いてゆく訳
私は、7人家族で育ってきました。
父、母、祖父母、兄二人。大勢の中で育った一番末の女の子。多くの人は
とても可愛がられて育ったんでしょう?と言われますが、本人の感覚は
「ほっとかれてる」
でした。
私の周りにいた同じ兄妹構成の友達も何人もの人が同じことを言っていたので、案外多いのではないでしょうか。
私は弱い小さい価値のない存在で、おとなしくしてさえいることでぎりぎりそこに居場所が与えられる。
または
ちょっと変わったことを言ったりして「キワモノ」として存在している。
そんな私が出会ったのが「書く」ことでした。それまで「絵を描く」ことはしていましたが、多分小学校で文字を書く事を知って、家に膨大にある父の本と結びついて、伝える事の「カタチ」を知ったのかもしれません。
言葉は、
誰もが使っていて、
使っていけない人はいなくて、
人間に平等に与えられている力
価値のない自分でも、ここに強烈に存在している事を叫んでいい。
自分を通して出たがっている言葉がある。そう気がついたときから、長い長い旅が始まったような気がします。
そして時がたって気が付いたことは 物事は多面的で
目の前の人も 自分も 視点を変えたら
たくさんの思いを抱えた おんなじ人間だという事
目の前の荒波を乗り越えることに集中して 現実から決して逃げなかった母
周りの人に左右されずに 自分の進む道を歩み続けた父
仕事に追われ 子供たちを置き去りにしていないか不安な今の私
学びを深めて 今 子供と向き合う一瞬を積み重ねる私
夫にいつも自分の志を伝えきれない私
夫のすべてを受け止める準備がいつもある自分
矛盾も 葛藤も 深い濃いエネルギーとして活きている
そして一つの目的地である出版に至りました。そしてこんな言葉を書くことができました。
〜私達人間には、鳥の翼のように与えられているものがあります。それが言葉です。〜
ここに、私が無価値感を抱えながらも書くことを止めなかった証を残してゆこうと思います。同じ乾きを持っていたあなたに贈ります。
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