59.消火活動
意識が途切れる直前で、私は思い出しました。
「ママと帰る!」
その日はお泊り予定だったのにそう言って、小さな両手で私の手をぎゅうっと掴みました。
私の精神状況があまり良くないと感じとっていた両親は、金銭は拒否する私に子育てで協力してくれていました。
イラついたり情緒不安定な私が、子どもとふたりきりでいることは子どもにとって悪影響だとも思っていたのでしょう。
子どももなんでも自分の希望が叶えられる祖父母宅へのお泊りをいつも楽しみにしていて、それまで「ママと帰る!」と言い張ったことはなかったので、子どもなりに何かを感じとっていたのかもしれないと後から思いました。
子どもが寝ている部屋はキッチンの真上でした。
酷い頭痛と室内の熱で視界が溶けたように歪んで見える中、なんとか立ち上がり119番へ電話をしました。
「火事ですか?救急ですか?」
と聞かれた時に背後で何大きな音がして振り返ると、火柱はレンジフードに届き今度はレンジフードにそって横に広がり始めていました。
天井に広がれば真上は子どもが寝ているベッドの位置でしたので、私はパニックに陥りました。
電話の向こうからは、何かを訊ねる声がしますが、何を聞かれているのか理解できません。
熱と煙で喉が苦しくなり、自宅付近にあった施設を告げるので精一杯でした。
電話の向こうからかろうじて
「向います」のような声が聞こえたような気がして、一刻も早く来て欲しいという思いから「小さい子どもがいるんです!」と自分でも聞いたことのない悲鳴のような声がでました。
火はレンジフードを包み込み、周辺の壁に広がる勢いでした。
その見覚えある光景に、はっとしました。
テレビの火災に関する番組で見たシーンを思い出しました。
その頃の過食では、お菓子にパンに総菜にとなんにでもマヨネーズをかけるのが自分の中で定番になっており、冷蔵庫には業務用マヨネーズが予備も含め2本入っていました。
冷蔵庫まで走り扉を開けマヨネーズを両手に持ち、近寄ると空気伝いでも火傷してしまいそうに熱くなった天ぷら鍋に容器ごと入れ、キッチンのドアを閉めて廊下に出ました。
その一連の行動をしているうちに多少冷静さを取り戻し、階段を駆け上がると毛布ごと子どもを抱き上げ、階段を駆け下りて玄関を出るとあちらこちらから複数台と思われる消防車と救急車のサイレンが聞こえてきました。
庭先で呆然で立ち竦んでいる私の手をぎゅっと握り
「桜瑚ちゃん!大丈夫?」
と声をかけてくれたのは、それまで挨拶を交わす程度だったお隣さんでした。
「集会所開けてもらったから、風邪引くから連れてくね。ほら、優しく連れて行ってあげて。あとは遊んであげて一緒に待ってなさい」
そう言って自分の中学生の息子さんに声をかけると、息子さんは子どもを集会所に連れて行ってくれました。
自宅は住宅街の坂の上にありましたので、続々と列をなしてあがって来る消防車は見えただけでも5台以上ありました。
お隣さんはずっと私の傍にいてくれました。
自宅から少し離れた場所に停めた先頭の消防車からホースを抱えた数人の消防士さんが走って来て私の目の前を駆け抜け家の中に入りました。
するとすぐひとりの消防士さんが外へ出てきて
「出すな!!止めろ!!」
と叫びながら消防車の方へ駆け戻って行きました。
先頭の消防士さん達の後へ続けとばかりにホースを抱え、こちらに向かって駆けてくる消防士さん達に向かって大きく手を振りながら
「撒くな!!止めろ!!撒くな!!」
と伝えると、次々と坂の途中や下の方からこちらに向かっていた消防士さん達にその声が伝えられていきました。
私はその様子をただ眺めることしかできずにいると、消防車と消防士さんの間を縫って両親が走ってくるのが見えました。
「大丈夫か?」
父が私の肩をゆすって聞きますが、私はなにも言えませんでした。
お隣さんが「お孫さんはうちの子と集会所にいます」と伝えると、母は集会所の方へ走って行き、父は自宅内に入っていきました。
ふと気が付くと、消防車、救急車以外にパトカーが複数台に腕に腕章をした報道関係者らしき人達の姿も数人見えました。
きっと近所の人達も大勢いたと思いますが、その姿は私からは見えませんでした。
私は自分の仕出かした事の結果を目の当たりにして、その場に立ち尽くしていました。