42.夜のサングラス
両親とは何かある時のみ連絡をとっていました。
東京に来て最初の会社を辞めた頃は、父から「今なら役場に入れるから帰って来い」としつこく言われていました。
私の田舎では、安定した収入と定年後も悠々自適で過ごせる年金と退職金が補償されている公務員が一種のステータスとなっており、身内のコネ採用などよく聞く話でした。
実力があればコネ採用が悪いとは思いませんが、私はコネで入っても父の顔に泥を塗ることになるのではないかというプレッシャーと、父の庇護のもとで生きる息苦しさを想像し、返事をせずにかわし続けているうちにいつしか父は帰って来いと言わなくなりました。
父と話すのは数ヵ月ぶりでした。
適当な話を色々したら本題に入れなくなると思い、単刀直入に
「東京から完全に帰る」
と言いました。
「分かった」
と父は二つ返事で了解してくれた後で
「あのビル火災の時、お前の名前が出るかと思ってた」
と独り言のように言いました。
父の言うビル火災は、歌舞伎町ビル火災のことだとすぐに分かりました。
実際、私が勤めていたお店も歌舞伎町にあり、私は思わず返事につまってしまいました。
特別専門的な資格があるわけでもないのに、東京へ出てすぐに会社を辞めた田舎の小娘が、親に頼らずにどうやって生活費を稼いでいるか父はお見通しだったのかもしれません。
「詳しい日程が決まったらまた連絡しなさい」
と言われ、通話は切られました。
会社の先輩達へは、秋が来る前には退職して田舎に帰ると伝えました。
正式に上司へ退職願いを出し受理され、仕事から帰ると引っ越しの準備をし、毎日が着々と帰省の日に向けて進んでいきました。
先輩のうち、年が近い先輩は痩せて実家へ帰る私が難病にでもかかっているのではないかととても心配してくれたので、彼氏とのことを話しました。
すると先輩は、皆の前では明るく振舞っていても仕事中にもかかわらず時折急激に悲しみに襲われる私を、さりげなくフォローしてくれたりしました。そのおかげで私は、退職日まで業務に支障を出さずに勤めきることができました。
退職日当日は週末だったこともあり、送別会を盛大に行ってもらいました。
駅前で解散し、私は久々ひとりで終電間際の混雑した電車に乗らなくてはいけなくなりました。
もらったプレゼントの紙袋と花束を持ち、不安いっぱいでホームに向かっていると後ろから名前を呼ばれ振り向くと先輩がいました。
私に追いつくと先輩は私の手から送別会でもらったプレゼントの紙袋を取りました。
「この荷物でひとりで乗るの大変でしょ?」
と一緒にホームへ向かって歩きだしました。
電車内では先輩が盾のようになり、荷物と私と花束はあまり人の圧を感じることなく最寄り駅で降りることができ、私は無事に家に帰ることができました。
先輩からは部屋につくあたりで
「弱ってるとこに漬け込むつもりはないけど、もう会えるのもこれで最後だから」
と告白をされました。
きっと他の男の人だったらなんだかんだ口実を作って部屋にあがり、きっと性行為にまで及んだのだろうと思います。
そうしなかった先輩のことを好ましくは思いましたが、私にはもう恋愛する余力は残っていませんでした。
翌日の夜の新幹線で私は実家へ帰ることになっていました。
その日の午前中、階下に住む大家さんと最後の立ち退きの立会い確認をしていると、玄関に彼が現れました。
彼とも面識のある大家さんは、彼が良くうちに来ていたのを知っており引っ越し当日に彼が現れると、ひとりしたり顔で頷き
「ちょっと待ってて」
と言い残すと自宅から未使用のお高そうなペアのシャンパングラスを持ってくると
「おめでとう!急だったからこんなのしかなくて…」
と彼に差し出しました。
「更新前の解約だからどうしたんだろって思ったけど、結婚するんだね! いや~めでたいめでたい」
と大家さんはニコニコして言うので、彼はその勘違いを訂正できず始終曖昧な返事で応じ、いつの間にか私は泣いていました。
最終の新幹線まで私達は大宮駅で過ごしました。
私も彼もホームへ上がると何も言葉を交わせませんでした。
出発待ちの新幹線の車内へは行かず、デッキに並んで立っていました。
扉が閉まる直前、最後の口づけを交わし彼はホームへ降りていきました。
口づけの際に触れた彼の頬は次々溢れる涙で濡れていました。
夜なのに彼がサングラスしていた訳が分かりました。
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