アメリカ挑戦記:ラーメン店から始まる新規事業
はじめに
「なぜ、ゲーム屋がアメリカでラーメン店を?」
この質問、本当によく聞かれます。
確かに、普通に考えたらありえない展開ですよね。 でも、この突飛な選択には、ちゃんとした理由がありました。
その始まりは、2008年のリーマンショック。
新規事業のひらめきから完成まで、私が体験した誰も予想できなかった物語をお話しさせてください。
「来週、会社はなくなります」
それは、とある月曜日の朝のことです。
会議室に集められた約20名のスタッフたち。 その顔が一瞬にして青ざめていくのを、今でも鮮明に覚えています。
当時、その会社は巨大化しすぎたベンチャー企業の一つ。
出すゲームは売り上げが伸びず、開発は延期続き。 海外からの投資に望みを託したその矢先、リーマンショックの大波が。 投資は頓挫、開発費は未払い、そして経営破綻―。
そして、あの月曜の朝を迎えることになります。
会議室に集められて、冒頭の言葉、
「来週で会社はなくなります」
誰かの生唾を飲み込む音が響くぐらいの静寂に変わった瞬間でした。
🏢 🏢 🏢
想定外のオファー
破綻宣告から3日後。
ベテランスタッフと破綻会社の副社長に呼び出された私に、 突然降ってきた依頼。
「営業と開発の責任者になってほしい」
「はぁ?!」
未経験のスタッフも多く、チームごとの移籍も難しい。
「自分たちが採用したスタッフだから、もう少し力をつけさせたい」
そんな責任を、なぜ私に?
でも、頼まれたら断れない性格の私は、 気づけば引き返せない場所に立っていました。
生き残りをかけた決断
やるからには、同じ轍は踏まない。
私がまず始めたのは「教育」でした。
会社に社員が1人いれば何円の維持費用がかかるのか。
仕事とはどういうことで成立しているのか。
制作に対する責任、給料をもらうということの意味。 それらを徹底的に叩き込みました。
そして、このチームを回す方法として閃いたのが、 遊技機の映像制作という道。
メジャーな実績を持つスタッフがいる。
それを武器に稼ぎ、その資金で作りたいゲームを作る。
シンプルだけど、確実な道筋。
「5年後にはメジャーな制作会社になる」
この約束を、若いスタッフたちと交わしました。 信じてついてきてほしい。 その思いだけで、徹底的なスパルタ実績作りが始まりました。
結果は―
3年後、私たちは予約待ちの会社になっていました。
🈵 🈵 🈵
新たな野望 そして海外へ
順風満帆に見えた矢先。
私の中に、新たな思いが芽生えました。
このまま小さなスタジオで実績を積むのも一つの道。 でも、これだけの努力と可能性を持つスタッフたち。
まだみんな20代。 もっと広い世界で、もっと大きな舞台で輝けるはず。
「会社としてサポートして、海外へ送り出したい」
単なる海外出張や研修ではなく、 本気で世界と戦える場所へ。 そう考えた私の頭に浮かんだのは、 とんでもないアイデアでした。
なぜ、その答えが「ラーメン店」だったのか。
それは、次回お話しさせていただければと思います😊
ゲーム業界歴25年。
開発をやってきたおかげで、自走力が身につきました。
新規事業の壁は高いと思えば高く、行けると思えば低くなります。
低くなるというよりは、夢中だから高低差なんて気にしていられません。
こんな私のただの始まりの記録を、本日も最後までお読みくださり、有難うございました。
フォローいただけるとパワーになります。
決して損はさせません!!
私の経験が、誰かの何かを始めるきっかけになれれば幸いです。