アートと歴史の旅行記:ローマ①驚愕の 博物館マッシモ宮
ローマにて こじんまりと静かで
しかしながら傑作揃いの美術館を発見したのでご紹介。
(すみません しばらくパソコンを使えないので パソコンで後日もう少し色々を整えます。)
マッシモ宮。
小さくて 物静かな静かな入口
観光客も全然いない。
でもその想像を遥かに上回る 傑作たちに出会える驚きの博物館。テルミエ駅から徒歩すぐ。
ローマ時代の傑作を数多く持ち
その質は 他とは一線を画す。
個人てきには、立体作品において は私にとって最高級
ボルゲーゼを凌ぐものに感じられたほど。(※あくまで私の好みです)
思い出したのは
故宮。はるか遠方の数千年前のお宝たち。
中でも、マッシモ宮には数多くのローマ時代の彫像たちがある。
私たちのいる世界から
作品たちは はっきりと くっきりと浮き立つ。
基本的な佇まいは静謐
それでいて
それぞれに強い魂が感じられ
とてつもない存在感を放つ。
強い個性とエネルギーに圧倒される。
そしてそれを支える 海外では例を見ないくらいに
素晴らしい展示。
作品の持つ本質を引き出している。
もしかしたら 魂を吹き込んでいるのは
もしかしてその展示方法であるのかもしれないとすら思うほど。
でも よく考えればやはり そこにある本質は作品が持つもの。展示はあくまで謙虚に うるさくなく 静かに 陰陽を与え
作品のありよう明確にする。
作品の説明は 最も最適な位置
ー作品の存在と価値を見るのに邪魔にはるほど近くないーが
どこで作品が発掘されたとか 書き方には
作品への尊敬と尊重が常に感じられる。
周りの 喧騒から
ーテルミエ駅の旅行者も喧騒からも コロッセオやボルゲーゼの観光客の喧騒からもー
離れた この特別な空間に素材する とんでもない巨人たちを紹介します。
暗いローマの土の中に
2000年以上も眠っていたこの作品。
ローマに起きた
様々な戦争も 政権争い、家族や種族の争いも 美を競う女性の争いや 栄枯盛衰 全てを遙か頭上に聞いてきた彼。
表面は傷だらけ でも
間違いなくそこには 強い魂が感じられる。
存在感 その 強さに ガツンとやられる。
美について
こちらは題名を取り忘れた作品。でも私に美のついて考えさせてくれた。
その大部分は失われ 残っているのはほんの一部。
けれども
はるかとおくからみたときにすでに
「あ 何か美しいものがある」
とわかった。私の脳のどっかで 頭で考えるのではないどこかが無意識に理解し引っかかった。
そして近くで見て
その美しさに感嘆。
それは遠くから藪を見て
「あれ?あそこに何かいるかな?」と 本能的に見つけ
近づいてからそれが何であるかわかるのと同じ。本当に美しいものは それをきちんと見なくても理解して認知していなくても それ以前に脳が何らかの方法で気づいてしまう。
そしてこれは作品のごく一部だけれど
音楽でも 文章でも
必ずしも長いから美しいのじゃないと思う。
本当に美しいものって
単にその一筆から
その一音から
それが 美であることが伝わってくる。
自分も 人を描く時
頬のその一つの曲線からすでに
自分が今 どれくらい美しいものを描けるのか それともかけないのかよくわかる。
だから この顔の一部を見れば
これがどれほど美しいものか わかるには十分な気がする。
そうそして それが美しいと感じる 美しさに感動するのは 知識でもないように思う。
「ボクサー」をネット見て
思わずその歴史を読んでしまったけれども
でも そういう知識がなくともすでに
その素晴らしい存在感はそこにあった。
だからこそ 彼の持つ歴史を読み そしてさらに感動を深めた。
私にとって美が そういう
文脈だけでなく
知識だけじゃなく
技術だけでもない
そういう普遍的 絶対的なものだと
改めて気づかせてくれた。
それは 何か 魂に訴えかけてくるものの ような気がする。
美しいものを 善いもの
演繹
星座も数学も学問も
繋がっていたはるか昔のローマ時代
私にはとても合理的に感じられる。
そういう 美しいものを 善いものがたくさんある博物館。
長くなったので続きます。
もっともっと紹介します。