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女友達。

というものがいるけれど、とても有難い人と、とんでもない人がいるのが、本当だと思う。
女として、経験するのが、大半の人はこのことで、ものすごく悩むと思う。

必ず、通らなければならない道なので。
多分、男の人には理解不能だと思う。
これは、断言できる…。

小さな頃から始まり、マウントというものは大なり小なり、発生している。
私は小さな頃は、あまりピンとはきていなかったけれど、大きくなるにつれ、勝った、負けたが存在することを知った。

女の人は複雑であるけれど、とても素直な生き物でもあると思う。

小学生の頃には、もうハッキリそれは表れていて、嫌いな子に対しては、容赦なく、嫌う集団というのができる。
そして、傍観するしかないという立場が出てくる。
下手に庇うと、こっちまで巻き込まれて、とんでもない目にあうのだ。
要するに、いじめられる。
目をつけられる。

私個人は、それをなんとも言えない感じで見ているしかなかったと思う。
仲のいい子と、ずっといたし。

しかし、転校してからは、割と一人でいたように思う。上手く馴染めなかったし、孤立はしなかったけれど、男の子に髪の毛を引っ張られたり、忘れ物貸してくれと何度も来られたり、近所の子にされたけれど、喘息でぜえぜえ言ってた当時の私は、これを好意だったのかと、大人になってから、のんびり気付いたくらいだったから。
忘れ物、3回も同じ日に借りにこないよなぁ…。
近くにかわいくて、人気のある子もいたのに。
空き家があり、その3人でよく遊んだのは、いい思い出である。

私は、大人しかったし、喘息持ちだったから、運動はほぼ休んでいたし、後半、できるようになってきて、マラソン大会まで出れるようになった。
それでも、ほぼお昼休みは、図書室に逃げてるような子だった。
みんなとボール遊びとか出来なかったし、放課後、校庭で遊びには誘ってもらって、その時は遊んだりする感じだった。
小学生はそんな感じで過ぎたと思う。

問題は、中学生からだ。
行く前日。
決めたことがあった。
大人しくていい。ただ、言うことだけはきちんと言おう。
そうしないと、多分、厄介だと。
私は、喘息を奈良の小学校での集団登校で治してもらい、片道30分、階段130段。
そんな道を毎日歩けば、喘息は治るようだ…。
あれだけ、吸入したり、ものすごく大変なものだったのに、風邪をひいたら、3日は休まないと、ダメだったのに。
環境はすごいと思う。

近所の仲のいい友達が入るという理由だけで、安易にテニス部に入ってしまった。
だが、なんだかんだ好きではあったようで、3年続けられた。
問題は、その中身だ。
中学生からが、正直一番厄介だと思っている。

派手なリーダー格の女子は必ずいて、幅をきかせる。
「あの子、最近、調子に乗ってない?」
この一言で、部活はあっさりとんでもない方向に変わる。
「あの子と口聞いたら、無視するから」
もう、完全なる鶴の一声。
逆らったら、逆らったで、非常に面倒なことこの上ない。
ので、みんな聞いてしまう。
交換日記なんかを、部活で回していたような時代だったから、大体時代背景とかはわかると思うのですが、女性はこんなもんだと思っています。
案の定、みんな、口を一気に聞かなくなるので、その標的にされてしまった子は動揺して、周りに聞きまくったりするのだけど、なにせ聞いたら、シカトされてしまうので、みんな、口を聞けない。
で、彼女はなんでなんでを繰り返して、泣いていたりして。
それでも、その他大勢は、口を聞けないと言う理不尽さ。
うんざりもするのだけど、彼女が最近、うるさかったのも本当で、キャッキャっ騒ぐタイプの子だったから、目に止まってしまったのだと思う。

女って、残酷なもので、これは仕方ないと割り切るものなのです。
現状を知ると、なおさら怖いし、庇う元気も気力もないし、そして、そんなに仲が良くなければ、どこかで、ああ仕方ないなぁ……と。

3日程経つと、それが唐突に解かれて、元に戻ります。
そして、普通に話し始めます。
あんなに意地悪をされていた子ですら、そのリーダー格の子に楽しそうに話しにいくのです。
何にもなかったみたいに。

私は、正直、離れて見ています。
自分が外されること、というのはたまにあったし、テニス部に無理やりいなくていいと思っていたから、教室の友達と仲良くしていました。
テニス部の中にもいろんな子がいて、私が付きやすい人、好きな人、いろいろいたので、執着はしませんでした。
ただ男子の話しかしない二人と方向が同じだったので、話にはついていけず、いつの頃からか、2人で仲良くし始めたので、私は離れました。
よくあるやつです。
女3人あるあるです。
一人、はじかれるやつ。
2人にしかわからない話をして、一人はじきます。

そして、トボトボ一人帰っていたら、おーい!と声をかけてくれる子がいました。
小学校同じで、転校した私の面倒を見てくれた優しい子です。私は彼女が好きでした。
同じテニス部だったし。
「1人?一緒に帰ろうよ」
それで、救ってもらいました。
捨てる神あれば、なんとやら。

なので、華やかなイメージの部活で有名だったのですが、私はあまり関わらないようにしていました。
普段は、教室の友達と仲良くしていたし。
それでも、問題は発生するわけで、私はイラストを描いたりするのが好きで、漫画大好きなものだったので、それを好んでくれる陸上部の子がすごく仲良くなってくれたのですが、2人して、漫画にものすごく詳しかったので、マニアックな話をしていたのです。
当時、彼女は友達と同人誌を作るところまでいっていたので、かなりのマニアックさですね。
私も、相当な好きで、高校生の頃にはコミケに行くようなタイプだったので、そこは同じです。

声優さんを小さな頃から、テレビのテロップを見て、この人とこの人が同じ声だ!なんてことを、兄と一緒にやっていたので、オタクまっしぐらです。
それでも、当時オタクにいいイメージはなかったので、ライトな好きを演じておりました。
がっつりオタクは引かれるのをわかったいたし、そればっかり大声で話す熱い人も、自分も苦手ではありました。

普通の話も、普通にしたいなーという人間だったもので。

その彼女と、要は仲良くし過ぎたわけです。
授業中に手紙をこっそり渡し合いしたり、マニアックな作品で笑ってたり、仲良くしすぎたんですね。
すると、もう1人、彼女と仲のいい子がいて、ある日、泣きました。
結構な大泣きで、教室の注目浴びました。
「私とも仲良くしてよ、話してよ」
と、わんわん泣かれてしまったんです。
そんなつもりはなかったけれど、2人で話し過ぎたわけです。
会話がマニアックすぎるから、彼女はついてこれなかった。
それで、気まずくなりました。
あ、これはまずいなと。

距離を置きました。申し訳なかったので。

ある日、バスに乗ったら、その陸上部の彼女と泣いた彼女が楽しそうに乗っていました。
その時の顔って、忘れないんですが、ニヤリと私を見て、泣いた子は笑ったんですね。

勝ったぞ、取り返したぞという風にしか見えなかったので、はいはいどうぞーという気分になりました。
もう悔しいとかどうより、うんざりしたというか、疲れたんですね……。
勝手にどうぞ。
もう参加しませんよーという気持ちにしかならなかったです。
中学2年の時でしょうか。
女子は当たり前なんだけど、怖いよなー。

またそれで、別の群れに行くわけです。
私の場合は、平和な人のところへ。
もめない、うるさくない、ギャーギャー言わない。
3年になる頃は、毎年クラス変えがあったので、奈良でいうところの、郡山、奈良高校あたりを狙える女の子が転校してきて、その子は東京から来て、とても達観していて、頭がいい女の子だったので、席も後ろで、自然と仲良くなりました。
なにせ、幼くないので、一緒にいて、楽で。 
彼女は考え方が大人でした。
その頃から、救心を常備していたような子で。
彼女と仲良くなった子も、さっぱりしていて、3、4人で仲良くしていました。
その頃は、とても楽でしたね。

小学校の頃に、部団登校をしたいたので、その当時仲良くなった二つ下の子が中学に入ってきたりしていたけど、小さな可愛い子だったので、ちょっと浮きがちで。
帰り道に一緒に帰ろうーと、彼女をおちょくって、かわいがり倒していました。
その子も、私とその人は好きだと言ってくれていたので、よく行動していました。
卒業式には、お花をくれたりしたので、嬉しかったのを覚えています。
制服は合わないので、友達の妹さんにあげました。

長くなるので、中学のことしか今回は書かないですが、女の人の友情というのは、いろんなものありきです。
儚いものもあれば、固く結ばれるものもあります。

入れたくないものは、容赦なく、はじきます。
わからない話をして、さり気なく、追い出したりしますね。

なので、見極めたり、自分と合う人を見つけるのは、本当に大事なことだと思っています。

私は、今は大事な友人は、6人ほどいるでしょうか。
高校からの友達、短大の友達、カウンセラーになろうと通った学校で、年上の方をナンパしたので、その方だったり。
あとは、オタク友達ですね。
このあたりも、紆余曲折ありまくりですけど、同年代の大阪と兵庫に、1人ずつ。
嵐ファンも11年ほどしていたので、去年FCを悩んで辞めたので、お茶の間ですが、嵐友達さんだったので、嵐がなくなると、ダメかな…と思いながら、年賀状を出したり、LINEしたりしたんですが、2人とも優しくて、このままお友達として、仲良くしてねと言ってくれたので、感謝しています。

1人は私と同じで、FCを辞め、もう1人は絶賛応援中です。
Perfurmのライブとか興味があったら、お誘いするねと言っています。
コロナがなければ、お茶したいねーと言っていたのですが…。
大人計画さんのファンでもある私は、父が亡くなってからは、三年以上、舞台そのものには行けてないのですが、一人でふらっと見に行くのが好きです。

森ノ宮ピロティボールの「人間ご破産」の舞台が、生で見た最後かなぁ。
多部ちゃんとか、本当素敵で、大好きなのですが。
また、ゆとりができたら、行きたいです。
前の松たか子さんと、神木くんの見たかったんですけどね。残念でした。

女友達の話は、ほんのさわりです。
まだまだ濃いです。
中学しか書いていないので、また書ける機会があれば、書きたいと思います。

女の敵は女でもありますが、味方もやはり女です。
味方につけると、これほど強いものはありません。
嫌な思いもするけれど、楽しいことも多くなります。
私はとても命がしんどい時に、ものすごいタイミングで、プレゼントを送ってくれる親友が1人います。

高校の時の友人で、高村光太郎の雷獣の詩を、書いてきてくれるような不思議な感性の鋭い人ではありますが、彼女の存在があるから、生きてこれてるかなあと思っています。
いてくれるだけでいいし、彼女も同じことを言います。
そのままのあなたでいてねと。 

自分がとてつもなく苦しい時、プレゼントが届きます。シンプルなカードやメッセージと共に。
チョコレートだったり、靴下だったり、セーターだったり、贈ってくれるものは、様々ですが、その言葉に号泣して、助けてもらったことも、最近ありました。
助けてもらっている。

私には、そんな存在の友達です。
いろんなことがあるけれど、人に相当救われている人間なので、有難いです。

彼女にも、最近、お菓子とシルバーアクセ等を贈りました。
長々と手紙を添えて。

友達とは、人によって、定義が違うけれど、私にはかけがえのないものだと思います。

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