万葉の恋 第1夜
思えども験(しるし)もなしと知るものを
なにかここだく吾が恋ひ渡る
*恋しく思ってみても甲斐のないことと
知っているのに、なぜ私はこんなにも
恋し続けるのだろう
2012.5.28
「・・なぁ、俺の何が悪かったんだよ」
・・・・・。
「・・帰っていい?」
「俺の何が悪かったんだよぉぉ」
いきつけのバーのカウンター。
そこに顔を伏せる183cmの男と
腕時計を見ながら、
タメ息をつく164cmの女。
「なぁにぃ?またぁ?」
カウンター越し、
タメ息まじりのマスターの質問に、
あくびをしながら何度か頷く。
「またってなんだよぉぉぉ・・」
めんどくさ
「マスター、いくら?」
「一緒でいいの?」
「一緒でいい」
「5800円」
・・ちっ
その時、右手に感じた温度。
・・勘弁して
視線を落とすと、
重ねた手を見つめながら彼が呟いた。
「・・レン」
「・・なに」
「今日、泊っていいか」
・・・・。
「ここ、払って」
「俺、誕生日なんだけど」
「また年をとったのね。可哀そう」
「・・おめでとうは?」
「帰るわよ」
彼のカバンから財布を出し
6000円出して私は言葉を足す。
「おつりいらないから」
「隼人ちゃんが払うなら
そこの諭吉ちゃんでもいいのよ」
「よく、見えたね」
「いい男のモノは、なんでも見なきゃ」
「なにそれ。ごめんね、うるさくて」
「気にしないで。帰り、気を付けてね」
「うん、・・・ほら、帰るわよ。」
まだ、カウンターに伏せたままの
背中を叩く。
「んーーーーーーーー」
・・・まったく、いくつよ。
彼のカバンとジャケットを持って
大通りへ向かいながら腕時計を見る。
最終には間に合わないか。
タクシー・・、あいつに払わせよう。
タクシー・・は
目の前の道路、左右を見るが、
1台もいなかった。
あ~あ、
「ねぇ、三上、帰り・・」
・・・・。
振り返ると、
彼もいなかった。
あいつ・・、また。
来た道を戻る。
扉を開けると、変わらず
カウンター奥にいたマスターが
笑いながら顎で店の奥を指す。
ため息と共に舌打ちしてしまった。
店の奥のトイレに続く通路は
一段と明かりを落とす。
ほんと・・。
目の前では、“壁ドン”をしている彼、
その両腕の間にいたのは、
可愛い顔をした『男の子』
人生で初めての経験なんだろう。
男に迫られるなんて・・。
顔、青ざめてんじゃん。
たぶん、まっすぐ立てば、彼と
同じぐらいの身長ではあるんだろうけど
近づいてくる顔から、どうにか
距離をとろうと膝を曲げ続けていた。
・・・・。
とりあえず
「いったっっ」
彼の右耳を引っ張った。
私に移った男の子の視線。
見られた恥ずかしさと、
助かった安堵が混じった表情。
「ごめんね、びっくりさせて。
こいつ、“失恋”したばっかりで
飲みすぎてるの。」
声も出せないのか
小さく首を振っている。
その姿勢、辛いわよね。
『壁ドン』をやめさせるべく
耳を持ったまま、さらに後ろに引っぱった。
「レン、それはまずい、耳なくなる」
んなわけあるか。
逞しい両腕の檻から解放された男の子は
曲げ続けていた膝を少しずつ伸ばした。
やっぱり、180cmあるか?
「ホントにごめんね」
私の言葉にまだ、無言のまま首を振る。
!?
急に後ろから伸びて来た手。
男の子の顔の前に1枚の・・
名刺。
「連絡してくれれば、
いつでも会いに行くから」
警戒レベルが引き上げられた
表情の中、視線が一瞬名刺に移った。
「〇〇出版?出版社・・
編集者の方なんですか?」
?
「ん~、そうだけど、気になる?」
また、前に出て来た彼に
慌てて距離をとった少年だったが
目の前の名刺を受け取らないと
逃げられないと思ったのか
おそるおそる指を伸ばした。
・・・・。
「いいかげん、帰るわよ」
私はもう1度、彼の耳を引っ張った。
~・~・~・~・~・~・~
トン
右肩にかかる重み。
目を閉じた彼の頭が、
私の肩に居場所を探す。
本当に・・勘弁してよ。
タクシーの後部座席、
窓の外を流れる
暗闇を消す程の光の線を
マンションに着くまで見続けた。
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