Sethiansとセス
『エジプト人の福音書』
*セツをハリストス(キリスト)とするグノーシス主義セツ派(Sethians)の文献
§37 サクラの高慢と人間の創造
そして、[世の]基礎が据えられた後、サクラは彼の天 [使]達に言った。「私、私は [妬みの]神。私によらず [なった]ものは何もない」。
* []→推定復元箇所
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『セスは語る』§512
"自我というのは妬み深い神のようなものですから、ひたすら願望を満たすことを要求します。"
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グノーシス主義者は、物的世界の創造主=ヤルダバオート=サクラ(Sakla)を敵視し、真の創造主を求める。(っぽい)
このサクラを自我(エゴ)とみなすとセス系列の哲学みたいだと思っていたら、意味深な文を見つけた。セスは、古代の霊的哲学者集団であるセツ派の人格存在を有していて、「自我の(サクラの)幻想を(二元論的物質世界観を)打ち破る」ハリストスとして(セツ派の見解ではハリストスとはセツである)、Sethという名前を使ったのではないか。そこらへんにセス系列哲学の霊的文書の霊の名前がやたら旧約聖書を想起させるものである理由があるのではないか、と思った。
(感想文)