魚の記憶が三秒しかもたないというのが本当かどうかわからないが、おそらく夢の中の自己も同じだ。 過去も未来も見ないが、しかしてすべてを知っている。 魚も泳ぎ方を忘れない。 私はすべてを忘れない(はずだ)
*This idea is from my dream 興味深いが否定されるべき実験だ。 私たちの脳、眉間の奥、またはさらに奥には臆病な蟲が棲んでいる。これには強力な歯があり、すべてを喰らいうる。強調すると、私たちは生来それに恐怖を覚えるが、蟲もまた、間違いなく怯えていた。 私の父の姿を借りたものは、母の姿を借りたものに棲むその虫に、彼女の脳を喰らいつくさせていた。私はそれに嫌悪感を露わにするが、この実験が理論的に正しいとも思った。 ところで私もこの蟲をもっている。
私たちの認識と機能は限られている。 それが如何に幸福なことか。
悲劇/闇/無明について、ある経験の全体は、三次元密度においてベクトル毎に分解されるのではないか。その内のいくつかが、個別の経験として認識されるということだ。例えば、ある全体経験Aがあったとして、これは個別経験a~fを含むものとする。高次元密度において、a~fは俯瞰的に認知され、または選択が可能であるが、私たちは三次元的制約によってそれらを複数の事象と錯覚する。観念によってつくられた全体経験のうち、意識的/無意識的に分解され、選択されたものが経験される。 個別経験の内に悲劇
「太陽」という記号は恒星を示すが、天体それ自体ではない。同様に、個人的な経験は「経験的記号」に過ぎない。経験は結果であり、実体ではないのだ。 実体という原因の世界を直視するには、記号が記号であることを、経験を本質ではなく幻想であることを知覚し続けなければなるまい。 この幻想的記号の構成を考える。 先ず、絶対先天的な法則によって私達の範囲は規定される。この規定の中で、或いは規定を観測・解釈することにより、原型的経験が生じる。(解釈と観測の行為こそが私である) この
『エジプト人の福音書』 *セツをハリストス(キリスト)とするグノーシス主義セツ派(Sethians)の文献 §37 サクラの高慢と人間の創造 そして、[世の]基礎が据えられた後、サクラは彼の天 [使]達に言った。「私、私は [妬みの]神。私によらず [なった]ものは何もない」。 * []→推定復元箇所 ----- 『セスは語る』§512 "自我というのは妬み深い神のようなものですから、ひたすら願望を満たすことを要求します。" ----- グノーシス主義者は、物的世界
君が本を読み、ある知識を手に入れたとしよう。 例えば、「もうすぐ、新しい、もっとも大きな宗教があらわれる」(これが正しいかはさておき) この場合、通常は外部から知識を得たと見做すが、何故知識を得たかを考え、これに対して「望んだからだ」と答えるのならば、知識の原因は自己内部に存在することになる。本とは、自己の内側を記述する媒体であった。或いは、その本の著者は君だった。もっというのなら、千人が同じ本を読んでも、千通りの知識をそれぞれが得るのであると。 このプロセスと
宮沢賢治の『春と修羅』は詩ではなく「心象スケッチ」であるらしい。 宮沢 賢治. 『春と修羅』 (pp.1-2). 青空文庫. Kindle 版. セス観念論(と私が呼ぶもの)によれば、物理的宇宙とは観念構築体である。心象は主観的観念の世界で、物理的宇宙(経験されるもの)は観念によって構築されたある特殊の経験の集合といえる。 物理的宇宙を描写することは、例えば劇でいう、脚本(観念)を観るか演じられたもの(物理的宇宙)を観るかの差でしかない。 この脚本には、演じら
宗教は真理を用いて(順応して)個人的幸福を追求するもの 哲学は真理自体を「体得」するもの
メディアはロシアがウクライナに侵攻したと報じた。 空挺軍が空港を制圧するなどの刺激的なツイート(真偽はわかりかねる)を追ううち、私はどうしようもない事実を認めるに至る。 「私は、戦争の拡大と激化を望んでいる」 さて、私は本当に幼子が死に、美人が苦しむ戦争を支持するのか。 いや、しない。(断固たる語気で) 私は幼子(なんならもっと明け透けに幼女という)と美人が好きなので、彼女らが苦しむことを絶対に望まない。 私は戦争を望みながら戦争を拒否する。 これは文として
「観念構築体としての物理的宇宙」はSethの術語だ。 個人的経験はすべて「思考」「観念」によってかたちづくられ、「感情」が現実化のエネルギーとなる。感情の「短弱(不継続・非強力)」によって物理的に具現しないことはあっても、十分な観念さえあれば、その経験は「夢宇宙」=「確率的偶然性の世界」=「蓋然性の世界」のうちに確かにあらわれる。 その意味において、私たちは観念と感情をコントロールすることによって、「想像し得る範囲の」あらゆることを個人的な経験のうちに表出させることが